文政13(1830)年~安政6(1859)年。幕末の思想家、教育家。幼少からぬきんでた才能を知られ、わずか9歳で藩校明倫館の兵学師範となった。嘉永3(1850)年には江戸に出て佐久間象山、安積艮斎に学んだ。嘉永7(1854)年、日米和親条約締結のため来航した米艦に密航目的で乗り込んだが、受け入れを拒否され失敗、国許の長州へ檻送されて野山獄に投獄された。出獄後、安政4(1857)年、松下村塾を開き、身分の隔てなく塾生を受け入れ、独自の教育によってわずかの期間に数多くの門下生を育てた。松下村塾からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、前原一誠など幕末の志士や維新の元勲が数多く生まれた。なお木戸孝允(桂小五郎)は松下村塾の塾生ではないが、明倫館の師範だった松陰に教えを受けている。その後、安政5(1858)年には幕府が勅許を得ずに日米修好通商条約を締結したことに憤り、倒幕や老中の暗殺を計画したことから再び野山獄に投獄された。さらに安政6(1859)年、安政の大獄がはじまると、勤王家梅田雲浜との関係で嫌疑を受けて江戸に送られ、評定所の取り調べの結果、斬首に処され、安政の大獄最後の刑死者となった。