作者

月性

原文

將東遊題壁

男兒立志出郷關
學若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到處有靑山

訓読

将に東遊せんとして壁に題す

男児 志を立てて 郷関を出づ
学 若し成る無くんば 復たとは還らず
骨を埋むるに何ぞ期せん 墳墓の地
人間 到る処 青山有り

東へ旅立とうとして壁に詩を書きつける

男子が志を立てて故郷を出ていく以上
もし学業が成就することがなければ二度と帰っては来ない
志半ばで斃れたとしても故郷の墓に埋めてもらうことなどどうして望むだろう
人の世のどこにでも骨を埋めるべき山はあるのだから

東遊:東に向かって旅する。天保14年(1843年)、月性27歳のとき、大坂へ出て篠崎小竹に学ぶべく、郷里の周防国(山口県)を後にした。
郷關:故郷の出入り口。転じて故郷そのもの。
不復:部分否定。二度とは~しない。 荊軻《易水歌》「風蕭蕭兮易水寒 壯士一去兮不復還」
前半2句:志を遂げるまでは故郷に帰らないというモチーフの元祖は漢の司馬相如である。都に上る際、成都郊外の昇仙橋に「大丈夫不乗駟馬車、不復過此橋」と書きつけたという。
埋骨:亡くなって遺骨を埋葬する。
墳墓地:先祖代々の墓のある故郷の地。
転句:「埋骨豈唯墳墓地(骨を埋むるに豈に唯だ墳墓の地のみならんや)」に作る本もある。いずれにしても趣旨は変わらないが、「豈唯」のほうが結句へのつながりはより明瞭になるかもしれない。
人間:人の世。
靑山:遺骨を埋葬して墓を立てるべき山。 蘇軾《予以事繋御史台獄獄吏稍見侵自度不能堪死獄中不得一別子由故作二詩授獄卒梁成以遺子由》「是處靑山可埋骨 他時夜雨獨傷神」

餘論

進学や就職で故郷を離れて新生活を始める季節ということで、旅立ちを詠んだ日本漢詩の中で一二を争う有名な詩を紹介します。

吉田松陰や久坂玄瑞らとも親しかった長州藩の勤皇僧・月性が、出郷に際して「学業が成就しなければ二度と帰って来ないぞ」と決意を述べた詩です。特に結句の「人間到る処青山有り」は名句としてひろく人口に膾炙しました。たしかに措辞・構成に無駄がなく、起句から結句まで一気に読み込ませる勢いと読者の気持ちを奮い立たせる力強さがあります。

それだけにこの詩の影響力は大きく、近藤勇はこの詩の前半をほぼそのまま用いた詩を詠んでいますし(→「近藤勇の漢詩(4) 失題」)、毛沢東の17歳のときの作「留呈父親」にいたっては「孩兒立志出郷關 學不成名誓不還 埋骨何須桑梓地 人間無處不青山」と、全編ほぼ月性の詩そのままです。盗作とみなされても仕方ないレベルですが、毛沢東のこの詩は進学で実家を離れるに際して父親に書き残した私的なもので、月性の詩のパロディの形で父親に決意を伝えたという程度に見るべきでしょう。毛沢東は日本の明治維新に深い関心があったので、幕末の志士たちに愛唱された月性の詩も熟知していたものと思われます。

毛沢東は「詞(ツー)」の名手であり、詩人としての才能には一流のものがありました。詩人として一生を終えてくれたほうが人類にとってよかったと個人的には思いますが、その毛沢東をして「盗作」させてしまうほど、月性の詩はすぐれていたのです。江戸後期にいたって日本の漢詩は、本場中国に肩をならべ、あるいは凌駕するレベルにまで到達したことを、月性のこの詩は毛沢東を通じて証明してみせたとも言えます。

この春、月性の詩に負けないほどの意気込みで故郷を離れ新天地に飛び出した若者も多いことでしょう。ただ、意気込みは意気込みとして、学問が成就してなくても盆暮れくらいは故郷に帰ることをお勧めします。ちなみに月性は無事に学問を修め、周防に帰って私塾「清狂草堂」を開き、長州藩内で吉田松陰の松下村塾と並び称されることになります。