『日本の漢詩文』について


日本人は千年以上のながきにわたって、漢詩を作り続けてきました。有名なあの戦国武将も、幕末を駆け抜けたあの志士も、明治のあの大文豪も、みんな漢詩を作っています。かつての日本において、最も正式で格の高い文学は漢詩だったからです。

明治維新によって、日本は近代的な国民国家(Nation-state)に生まれ変わります。国民国家の成立を支えたのは、国家に所属する住民全体が他の国家の住民とは区別されるひとまとまりの集団(=国民)であると考えるイデオロギーです。このイデオロギーにしたがえば「日本文学」とは、「日本人が日本独自の言語たる日本語で書いた文学」に限定されます。この定義にしたがって日本の文学史も書き直され、漢詩文は正式な日本文学ではない、おまけのようなものという位置づけになります。

それでも、明治の国家と社会の中枢を支えた人たちは、幼少から漢詩文の教育を受けた世代だったので、みな当たり前のように漢詩を作り、各地で漢詩雑誌も発行されて、日本漢詩はかつてないほどの隆盛を見せます。しかし、これは消えゆく蝋燭の最後の輝きのようなものでした。時の流れとともに、最後の隆盛をささえた世代が去ってゆき、もはや「日本文学」ではなくなってしまった漢詩は衰退の一途をたどります。文芸創作の対象としての漢詩が衰退するとともに、過去の日本人が残した膨大な漢詩に対する関心も薄れていきます。この傾向はどんどんと進み、現在では、日本人が漢詩を作っていたことなど、ほとんど「なかったこと」になりつつあります。

私は、明治の日本が国民国家として統合されたことは正しかったとおもいますし、「日本文学」が「日本語文学」に限定されたことも仕方ないことと思います。また、現在のあるいは将来の日本人がこぞって漢詩を作るべきだと考えるわけでもありません。しかし、日本人が過去に営々として漢詩を作り続けてきたこと、そこに自分たちの思いを詠みこんできたきたことは、まぎれもない事実です。この事実を無視してしまうことは、日本の歴史と文化の重要な部分を無視してしまうことにほかなりません。これは非常に残念なことです。自分たちの祖先が作り上げた漢詩という伝統に少しでも目を向けてほしいと思います。

そこで、このサイトで日本人の漢詩(および漢文)を紹介・解説していこうと思います。なにぶん、個人が片手間でやっていることなので、遅々とした歩みになると思いますが、その点はご容赦ください。