勝海舟(かつ かいしゅう)

2016年6月30日木曜日

作者


文政6(1823)年~明治32(1899)年。幕末~明治初期の武士、政治家。通称は麟太郎、諱はもともと義邦、維新後に安芳とあらためた。海舟は号。旗本の家に生まれ、蘭学を学んで才能をあらわし、安政2(1855)年には長崎海軍伝習所に入所して海軍について学んだ。安政6(1859)年には江戸にできた軍艦操練所の教授方頭取となり、万延元年(1860年)には咸臨丸に乗船して渡米して、日本と全く異なる政治、経済、文化、社会を見聞して知識を深めた。帰国後はしばらく海軍から離れたが、文久2(1862)年に海軍に復帰し、軍艦奉行並に就任、元治元(1864)年5月には軍艦奉行となり神戸海軍操練所を設立した。操練所では坂本龍馬、陸奥宗光らが学んだが、政局の変化などもあり翌慶應元(1865)年3月には閉鎖された。立場の違いをこえて様々な人々と交流があり、戊辰戦争の際には、新政府軍の西郷隆盛と交渉して江戸城の無血開城を実現し、住民を戦火から救った。維新後は政府からの求めに応じて様々な官職を歴任したが、ほとんど短期間で辞職した。一方で、旧幕臣の就労支援や生活援助などの活動を長く続けた。