吉田松陰の漢詩 泊浪華(浪華に泊す)

作者

原文

泊浪華

狂夫未必不思家
爲國忘家何用嗟
中宵夢斷家安在
夜雨短篷泊浪華

訓読

浪華に泊す

狂夫 未だ必ずしも家を思わざるにあらざるも
国の為に家を忘るるは何ぞ嗟(なげ)くを用いん
中宵 夢斷えて 家 安(いず)くにか在る
夜雨 短篷 浪華に泊す

大阪で船に泊まる

愚か者の私ではあるが、故郷の家をなつかしく思わないわけではない
しかし、国家のために働いて家を顧みることがないことを、どうして嘆く必要があるだろう
とはいえ、夜中に目が覚めれば、故郷の家はどの方角だろうとおもってしまう
私は今、夜の雨が降る中、とまぶきの小舟に乗って大阪に泊まっているのだ

:船中で夜を明かすこと。昔は夜間の航行は行わなかったので、船は夜になる前に客を乗せたまま港に入り、そこで一晩すごした。
浪華:大阪。
狂夫:狂った男、愚か者。ここでは世の中に理解されず変人扱いされることの多い自分を自虐的にこう表現した
未必不思家:「未必~」で「必ずしも~ではない」という部分否定。そのあとに「家を思わない」という否定が来て、二重否定になっている。つまり、「必ずしも家を思わないわけではない」となる。
中宵:夜中。夜半。「宵」は今でいう「よい」だけでなく、夜全体のことも指す。
:どこに
短篷:小舟。「篷」は竹や茅などを編んで船や車、小屋の覆いにする「とま」のことだが、転じて船のことも指す。

餘論

嘉永6(1853)年、24歳のとき、海外渡航の目的で長崎に向かう途中、大阪で一夜を過ごした時の作とされます。「狂夫」という言葉は謙遜でもあり、自虐でもありますが、松陰が使うとなんとなく誇らしげなニュアンスを感じてしまいます。