伊達政宗の漢詩 醉餘口號(酔余口号)

作者

原文

醉餘口號

四十年前少壮時
功名聊復自私期
老來不識干戈事
只把春風桃李卮

訓読

酔余口号

四十年前 少壮の時
功名 聊か復た自ら私かに期す
老来 識らず 干戈の事
只だ把る 春風桃李の卮

酔った後口ずさんだ詩

四十年前まだ若く血気盛んだったころには
手柄をたてて名をあげてやろうと、多少はみずからひそかに期するところがあったものだ
しかし年をとった今となっては、戦のことなどもうわからなくなった
春風の中で桃や李の花をたのしみながら酒をたのしむだけだ

醉餘:酔った後。
口號:口ずさむ。口ずさんで詠んだ詩。
少壮:年が若くて血気盛んなこと
老來:年をとってくる。「來(来)」は、動詞の後ろに付いて、話し手の視点や話題の中心に動作が向かってくることをあらわす助字。
干戈:盾と矛。転じて戦争。
把:手に取る。
卮:さかずき

餘論

伊達政宗は秀吉にも家康にも常に警戒され続けてきました。何度となく謀反の疑いもかけられ、そのたびに知恵をふりしぼって危機を乗り越えています。秀吉に臣従して以降、江戸幕府の天下が定まった晩年に至るまで、いかにして天下人の警戒を解きつつ国力を高めるかというのが、政宗に課された難題でした。この詩も当然、半分は本音、半分は幕府に向けたアナウンスと見るべきでしょう。言いたいのは後半の「もう野心なんてありません」ということですが、それをより強調するために、前半では「若いころは野心がありました」と正直に告白しています。この前半の正直さによって、後半の言葉の信憑性が高まるという効果が生じています。詩としてうまい、という以上に、政治家として非常に上手な作品だと思います。