木戸孝允の漢詩 戊辰作(戊辰の作)

作者

原文

戊辰作

去歳王師迫我疆
今朝孤剣入他郷
回頭世事変如夢
一片依然男子腸

訓読

戊辰の作

去歳 王師 我が疆に迫る
今朝 孤剣 他郷に入る
頭を回らせば世事 変ずること夢の如きも
一片 依然たり 男子の腸

戊辰の年の作

去年は長州征伐の軍が我が故郷、長州に攻めよせたものだが、
今では反対に私は一振りの剣をひっさげて他藩の地へ攻め入っていく
振り返って思いをめぐらせば、世の中は変化してしまって昔のことはまるで夢の中の出来事のよう
しかし、そんな世の中でもひとつ依然として変わらぬものは、ますらおの国を思う心だ

戊辰:干支のひとつ。干支は十干と十二支の組み合わせで年や日にちをあらわす。ここでいう戊辰の年は1868年(慶應4年/明治元年)のこと。この年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が開始される。
去歳:去年。実際には第2次長州征伐の軍が四方から攻撃開始したのは慶應2(1886)年で、この詩を作った年の前年(慶應3年・1867年)には戦争はほぼ終結していたが、詩の表現上、このように詠んだのであろう。
王師:天子の軍隊。長州征伐はもともと勅命によるものであったから、その軍を王師と呼んでも支障はない。
:領土、領域。
回頭:振り返って見る。空間的に後ろを振り返ることにも、時間的に過去を振り返ることにも用いる。ここでは後者。
世事:世の中のことがら。
依然:もとのまま変わらぬさま
男子:木戸本人を指す
:本来の意味は内臓の腸だが、転じて、心、気持ちの意味もあらわす。ここでは後者。

餘論

幕末の政治状況は、まさに木戸が詠んでいるとおり、「変ずること夢の如し」で、次々と主流・反主流がいれかわっていきました。長州は当初、攘夷派の公家と組んで朝廷に大きな影響力を及ぼしていましたが、八月十八日の政変により京都の政局から排除され、巻き返しをはかった禁門の変に敗北して朝敵となってしまい、2度にわたる征討を受けることになります。しかし、苦難の中、藩論の転換と統一をなしとげて改革を進め、薩長同盟によって孤立から脱却、大政奉還後の政局で表舞台に返り咲き、戊辰戦争では官軍の中心勢力となります。屈辱に耐え、最終的に勝ち組になったわけですから、もっと大いばりの詩になってもよさそうなものですが、この詩からはむしろ、世の中の移り変わりの激しさに対するセンチメンタルな思いが感じられます。「頭を回ら」して思い浮かべていたのは、ひょっとしたら、長州の苦境の中で亡くなっていった、久坂玄瑞ら仲間の顔だったかもしれません。そして、そんな感傷をふりはらうかのように絞り出したのが結句(第4句)なのだと思います。

ちなみに、起句の韻字「疆(平声・陽韻)」を「境(仄声)」に作る本もあります。起句と承句は一応対句なので、通常は起句を踏み落とし(韻を踏むべきところで韻を踏まない)にするところですから、その点からは「境」のほうがいいのかもしれません。