勝海舟の漢詩 丙寅初秋題神戸海軍舊趾(丙寅初秋、神戸海軍の旧趾に題す)

作者

勝海舟

原文

丙寅初秋題神戸海軍舊趾

百年胸裏總參差
空以丹心比死灰
縦使細巧今不達
雄圖應必作胚胎

訓読

丙寅初秋、神戸海軍の旧趾に題す

百年の胸裏 総て参差たり
空しく丹心を以て死灰に比す
縦ひ 細巧は今は達せざりしも
雄図 応に必ず胚胎を作すべし

丙寅の年の秋、神戸海軍操練所跡で詩を作る

海軍操練所の閉鎖により、長年の間、胸の内に抱いてきたことはすべてが頓挫し
国を思う熱い心も、冷たくなった灰になぞらえるほかはない
だが、細かい技術についてはまだ十分なレベルに達していなかったとしても
欧米諸国に負けない海軍を作ろうという雄大な計画がこの海軍操練所から始まったことは間違いないのだ

丙寅:慶應2年(1866年)
神戸海軍:神戸海軍操練所。元治元(1864)年5月神戸に設置された幕府の海軍士官養成所兼海軍工廠。幕府の許可のもと、勝海舟個人の海軍塾もすぐ近くに開設され、両者は明確に区別されていなかったらしい。坂本龍馬や陸奥宗光(後の外務大臣)、伊東祐亨(後の初代連合艦隊司令長官)などが学んだが、生徒の中に倒幕派の志士が多くいたこともあり、幕府内から反発が強まり、慶應元(1865)年3月に閉鎖された。
参差:ふぞろいなさま、ちぐはぐなさま、うまくいかず、つまづくさま
丹心:まごころ。「丹」は赤。
胚胎:物事のはじまり、きざし。

餘論

神戸海軍操練所が閉鎖に追い込まれた翌年に、その跡地を訪れて作った詩です。目に見える成果をだせないままに閉鎖となった悔しさと、それでもここで蒔かれた種は必ず日本の将来に大きく花を咲かせるはずという自負とが伝わってくる詩です。