九月十三夜陣中作(上杉謙信) / 九月十三夜陣中の作

2016年6月30日木曜日

上杉謙信


作者

原文

九月十三夜陣中作

霜滿軍營秋氣淸
數行過雁月三更
越山倂得能州景
遮莫家郷憶遠征

訓読

九月十三夜陣中の作

霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁 月三更
越山 併せ得たり 能州の景
さもあらばあれ 家郷の遠征を憶ふは

九月十三夜陣中での作

陣営には霜が真っ白に降り、秋の気がすがすがしい
空にはいくつかの列に並んで雁がわたっていき、真夜中の月が輝く
いまや我が領地の越後越中に能登の景色もあわせることができたのだ
故郷の家族たちが遠征の身を案じているかもしれないが、ままよ、今はそんなことは気にせず楽しむこととしよう

九月十三夜:旧暦8月15日の「仲秋の名月」とともに、旧暦9月13日の月も「後の月」として愛でる日本独自の風習。平安後期から始まったとされる。
越山:越後の山
能州:能登の国
遮莫:「さもあらばあれ」と訓じ、「以下のことはどうでもよい、かまいはしない」を意味する。

餘論

天正5(1577)年閏7月、能登へ進攻した上杉謙信は次々と城を落とし、七尾城を包囲します。力攻めを避けた謙信は調略により城内で反乱を起こさせ、9月15日に城を落とします。したがって、この詩は落城の2日前に作られたということになりますが、まるでもう城を落とした後のような内容になっており、この点から、この詩は謙信本人の作ったものではなく、後世の仮託であるとする説が根強くあります(この詩以外に謙信の漢詩が残っていないことも仮託説の根拠になっています)。

この詩が謙信本人の作かどうかは私にはわかりませんが、落城前にまるでもう城を落としたかのように詠むということ自体はそんなにおかしいことではないと思います。まずこの詩を作るタイミングとして9月13日の夜というのは動かせないわけです。「後の月」はこの日と決まっているわけですから。したがって落城を待つわけにはいかず、9月13日の状況で詩を作るしかありません。その時点の状況は、能登の大部分はすでに攻略したものの、その首府たる七尾城はまだ陥落していません。したがって厳密な表現にするなら、転句は「越山欲倂能州景(越山併せんと欲す能州の景)」とでもするべきなのでしょう(私ならそうしてしまいそうです)が、そうするとこの詩の持つ力強さが半減してしまいます。詩の完成度を高めるためには多少の脚色も必要になります。したがって、七尾城が陥落していない時点で「越山 併せ得たり 能州の景」と詠むことは決して怪しむべきことではないと私は考えます。