高杉晋作の漢詩 於馬關有詩(馬関において詩有り)

作者

原文

於馬關有詩

海門千里與雲連
碧瓦錦樓映水鮮
前帝幽魂何處在
渚煙空鎖夕陽天

訓読

馬関において詩有り

海門千里 雲と連なり
碧瓦 錦楼 水に映じて鮮やかなり
前帝の幽魂 何れの処にか在る
渚煙 空しく鎖す 夕陽の天

下関で詩をつくる

関門海峡から望む海は千里のかなたまでひろがり空の雲へとつながっている
みどりのうつくしい瓦やきらびやかな楼が海水に映って色鮮やかだ
かの安徳天皇の御霊はいったいいずこにおわすのであろうか
渚に立つ靄が、夕日のしずみゆく空をむなしく覆い隠している

馬關:下関。別名の赤間関(赤馬関)を唐風にいいかえて「馬関」という。
海門:海峡
前帝:安徳天皇(1178~1185、在位1180~1185)。治承4年4月に満1歳で即位、政治の実権は外祖父の平清盛が握ったが、まもなく源平の争乱が起こり、寿永2(1183)年には平家一門とともに都落ちした。寿永4(1185)年、壇ノ浦(下関周辺の海域)で平家一門が滅亡した際に、祖母にあたる平時子(二位尼)に抱かれて海に身を投げ、満6歳で崩御した。
幽魂:死者のたましい。
渚煙:「煙」はものを燃やした際に出る「けむり」だけでなく、靄や霧、霞のたぐいも指す。ここでは後者の意。

餘論

漢詩ではこまかいルールがいろいろとあり、やってはいけない禁止事項もいくつかあります。特に絶句や律詩には禁忌が多く、そのひとつに「冒韻」というものがあり、押韻に使っている字と同じ韻の字を、押韻以外の場所で使ってはいけないことになっています。この詩では、「海門千里」の「千」と「前帝幽魂」の「前」が冒韻になっています。冒韻をどこまで厳密に避けるべきかについては人によって考え方の違いもありますが、専門の詩人であれば、2か所の冒韻はさすがに避けると思われます。しかし高杉晋作はそこまで細かいことにはこだわらなかったのかもしれません。