文政10年12月(1828年1月)~明治10(1877)年。幕末~明治初めの薩摩藩士、軍人、政治家。下級武士の出身だが藩主島津斉彬によって抜擢された。斉彬の死後は失脚と復活を繰り返しながら頭角をあらわし、薩摩藩を代表する実力者として活躍、薩長同盟を締結して戊辰戦争を主導した。江戸城総攻撃では勝海舟との話し合いにより無血開城を実現した。維新後は陸軍大将などを歴任したが、征韓論をめぐって大久保利通らと対立、明治6(1873)年9月、官職を辞して下野し鹿児島へ帰った。その後、明治新政府の政策に鹿児島県士族の不満が高まり、明治10(1877)年、彼らの暴発をきっかけに西南戦争の指導者となるが、政府軍に敗れて自刃した。号は南洲。維新三傑の一人と評される。