作者


原文

無題

肥馬大刀尚未酬
皇恩空浴幾春秋
斗瓢傾盡醉餘夢
踏破支那四百州

訓読

無題

肥馬 大刀 尚ほ未だ酬いず
皇恩 空しく浴す 幾春秋
斗瓢 傾け尽くす 酔余の夢
踏破す 支那四百州

無題

立派な軍馬と見事な軍刀を賜りながら、今なおそれに報いることができぬまま
みかどの恩に空しく浴して幾年を過ごしてきただろうか
いま出陣する前に一斗の酒を飲みほし、酔っぱらって見る夢のなかで
現実より一足先に、清国の全土すべての州を駆け回るのである

肥馬:よく肥えた馬。体格のよい立派な馬。漢詩では通常「肥馬」といえば、富貴や贅沢の象徴(現代の高級車のイメージに近い)だが、ここでは立派な軍馬のことである。
大刀:長く大きな刀剣。太刀。これもここでは軍刀である。
未酬:軍馬も軍刀も陛下から賜ったものであるが、それに対して未だ報いることができていない、という意。
斗瓢:一斗の酒の入る器。「瓢」はもともと瓢箪で作った器のことだが、そこから転じて酒器全般を指す。一斗は「一斗缶」の一斗、一升瓶の十倍であるから、大量の酒が入る酒器であり、「斗瓢を傾け尽くす」は「大量の酒を飲み干す」という意味になる。
醉餘:酔った後。酔後に同じ。
踏破:踏み歩きとおす。「破」は意味を強める助字。
支那:春秋・戦国時代を通じて拡大した漢民族世界を再統一した「秦」(上古音 /dzien/、現代音 qín = ch‘in²)が国名として周辺諸国に広まり、インドのサンスクリット語で「チーナ(cīna)」となった。これがさらに西に伝わって、アラビア語の「スィーン(ṣīn)」、ラテン語の「スィーナエ(Sinae)」、英語の「チャイナ(China)」、フランス語の「シーヌ(Chine)」などになっていく。一方、サンスクリット語の「チーナ」は仏典を通じて中国に逆輸入され、「支那」と翻訳された。その後、中国では仏典や仏教関連詩文を中心に自国を指す名称として用いられたものの、一般に広まったとは言い難い(そもそも中華思想のもとでは自国を指す客観的名称の必要性自体が低かった)。一方、日本では江戸時代以降、中国を王朝名ではなく通時的な地域名として指す名称として「支那」の使用が広まっていき、明治以降は一般に定着した。
四百州:中国全土を指す。最古の王朝とされる夏の時代、天下は九つの州に分けられたとされる。その後、周の封建制を経て、秦の始皇帝は天下統一後、郡県制を布いて36の郡を置いた。漢の武帝は複数の郡を監察する「州」を置き、やがて州は行政権も得て郡の上の最上位の地方行政区画となった。後漢の時代に州は13あったが、その後、時代が下るとともに州が細分化されて、その数が増加していき、州と郡の規模があまり変わらなくなった結果、隋代には郡が廃止されて州県制となった。唐代には州の上に「道」が置かれ、州はかつての郡に相当する行政区画となったが、その数は330前後まで増え、概数として「四百州」で中国全土を表現するようになった。「支那四百州」という語自体も以下の用例がある。 唐・無名氏《千歲寶掌和尚返飛來峰棲石竇題句》「行盡支那四百州 此中偏稱道人遊」 元・王沂《題天衣寺》「歸來野鶴三千歲 覽盡支那四百州」

餘論

明治27(1894)年7月25日、朝鮮豊島沖の海戦で日清両軍の戦端が開かれ、8月1日に日本は正式に清国に宣戦を布告します。第一師団の歩兵第二旅団長として出征することとなった乃木少将(当時)は9月24日に東京を出発し、10月9日に広島に置かれていた大本営でこの詩を詠み、明治帝の天覧を賜りました。惜しむらくは起句の「刀」が孤平となっている点ですが、これは「尚」を「猶」に変えれば容易に解決されます。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(89分版)第4回「日清開戦」の中で、伊地知幸介(第2軍参謀副長)が乃木将軍に向かって「乃木閣下が出征の折、大本営で詠まれた漢詩が思い起こされもんどなあ。確かあの漢詩の結びは『踏破す 支那四百州』」と語りかける場面があります(89分版のみ。44分版ではカット)が、伊地知が触れているのはまさにこの詩のことです。

なお、現在では「支那」という言葉が差別語扱いされていますが、本来「支那」という言葉に差別や軽蔑の意味がないことは、注に記した通り、かつて当の中国人自身が「支那四百州」と詩に詠んでいたことからも明らかです。近代以降、一部の日本人が中国を侮蔑していたことは事実であり、彼らが中国を「支那」と呼んでいたことも確かですが、だからといって「支那」が差別語ということにはなりません。彼らが「支那」という言葉を使ったのは、当時中国を指す呼称として一般的だったからというだけのことであり、彼らと反対に中国に敬意を持つ人たちも同様に「支那」と呼んでいたのですから、「支那」という言葉自体に差別的意味があるわけがありません。現代でも当時と同じく中国を侮蔑する人はおり、彼らは今ではかの国を「中国」と呼んでいるわけですので、「支那」が差別語だというなら、「中国」もまた差別語だということになってしまいます。そんなバカげた話はないでしょう。

乃木将軍のこの詩における「支那四百州」にも侮蔑の意味など感じられません。感じられるのは、今や敵国となったとてつもなく広大な国で存分に暴れまわってやろうというぐらいの、ある意味無邪気なほどの意気込みです。その点で言えば、後に日露戦役の旅順攻囲戦を経てからの乃木将軍の詩に見られる悲痛な重みは、この詩にはまだ見られません。