板垣退助 咏史

作者

原文

咏史

歌篇先入死何怨
去踏海南雲幾程
千載香風吹不絶
春煙一樹故都櫻

訓読

咏史

歌篇 先づ入れば 死 何ぞ怨まん
去りて踏む 海南の雲 幾程
千載 香風 吹き絶えず
春煙 一樹 故都の桜

歴史を詠む

自分の和歌が勅撰集に入りさえすれば死しても何ら怨むことなどない
平忠度はそんな思いで都を去り、雲たなびく四国への遠い道のりを落ちのびていったのだ
千載和歌集に掲載された彼の歌からは、千年もの間、かぐわしい風が絶えることなく吹き続け
春霞のなか咲き誇る古都の山桜を思い起こさせるのだ

:「詠」に同じ。
歌篇:ここでは和歌のこと。この詩は平忠度(1144~1184)の故事を詠んだもの。平忠度は清盛の異母弟で和歌に長じており、藤原俊成に師事した。平家一門が都落ちする際、師の俊成に自作の和歌百余首を託し、俊成は自らが撰者をつとめた勅撰集「千載和歌集」に忠度の歌「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を「よみひとしらず」として掲載した。都落ちした忠度は一の谷の戦いで討ち死にした。
海南:四国の別称。
千載:「千歳」に同じ。千年の間。ここでは第七番目の勅撰和歌集「千載和歌集」とも掛けている。
春煙:春霞
故都:昔の都

餘論

この詩は「咏史」と題していますが、英雄や合戦ではなく、源平争乱の中で生まれたささやかなエピソードを詠んでいます。敗者として死んでいった平忠度への鎮魂の思いがこめられた詩です。戊辰役後の「勝てば官軍」の風潮の中で、賊軍の汚名をこうむった会津藩の名誉恢復に尽力した板垣らしい、敗者への思いやりあるまなざしを感じることができます。