華岡青洲(はなおか せいしゅう)
宝暦10年10月(1760年11月)~天保6年10月(1835年11月)。世界初の全身麻酔下手術を成功させた江戸時代の外科医。諱は震(ふるう)、通称は雲平、号は青洲。また、華岡家当主が代々用いた号・随賢も名乗った。
紀伊国那賀郡の医者、華岡直道の長男として生まれ、天明2年(1782年)から京都に出て、漢方医術の一派である古医方派に加え、オランダ流外科手術も学んだ。天明5年(1785年)2月には帰郷して父の医業を継いだ。日々の診療のかたわら、手術の痛みをやわらげるための麻酔薬の研究開発に取り組んだ結果、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)や草烏頭(トリカブト)などを配合することで全身麻酔効果を発揮することを発見し、動物実験にも成功した。さらに、自ら被験者となることを申し出た母の於継と妻の加恵を対象として、数度にわたる人体実験がおこなわれ、於継の死亡と加恵の失明という犠牲を経て、全身麻酔薬「通仙散」を完成させた。
文化元年10月13日(1804年11月14日)、60歳の女性に対し、通仙散を用いた全身麻酔下乳癌摘出手術を実施し、成功させた。これは、米国のモートンによるジエチルエーテルを用いた全身麻酔下手術(1846年10月)と比べて40年以上早く、確かな実例として証明されているものとして世界初の全身麻酔下手術である。
全身麻酔下手術の成功により、青洲の名は全国的に広まり、各地から入門希望者が殺到した。青洲はこれに対応するため、「春林軒」という医塾を設立し、千人をこえる門下生の育成に尽力した。また、膀胱結石、脱疽、痔、腫瘍摘出など数多くの手術をおこなったほか、現在も用いられる十味敗毒湯や紫雲膏などを考案している。
功績により、紀州藩から帯刀を許されて士分にとりたてられ、最終的に天保4年(1833年)には奥医師格まで昇進している。
昭和41年(1966年)、有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』がベストセラーとなり、それまで医療関係者以外にはあまり知られていなかった青洲の功績が広く一般に知られることとなった。
⇒ 華岡青洲の漢詩
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