大久保利通の漢詩 乙亥冬日圍棋偶作兼送松陰君(乙亥冬日、棋を囲みて偶(たまたま)作り、兼ねて松陰君に送る)

作者

原文

乙亥冬日圍棋偶作兼送松陰君

寒燈挑盡夜沈沈
雪敲閑窗和棋音
誰識局中存妙趣
爭心元是屬無心

訓読

乙亥冬日、棋を囲みて偶(たまたま)作り、兼ねて松陰君に送る

寒灯 挑(かか)げ尽くして夜 沈沈
雪は閑窓を敲きて棋音に和す
誰か識らん 局中に妙趣 存するを
争心は元と是れ 無心に属す

乙亥の年(明治8年)冬のある日、碁を打ってたまたま詩ができた、あわせて松陰(五代友厚)君に贈る

灯心をかきたてつくして寒々しいともしびも消えかかり、夜はしずかにふけていく
雪がしずかな窓をたたく音が碁を打つ音に調和している
我々以外にいったい誰にわかるだろう、対局の中にすばらしいおもむきが存在していることを
碁で争う心はもともと無心の境地に属するものなのだ

乙亥:明治8年
:碁
:普通、人にものや詩をおくるときは「贈」を用い、人がどこかへ行くのを見送るときに「送」を用いることが多いが、「贈」と同じ意味で「送」を用いることもある。この詩の背景を考えると、大久保が五代を見送る状況にはないため、「五代に送る」と解した。
松陰:五代友厚(1836~1885)の号。薩摩藩出身の武士・官僚・実業家。西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍し、維新政府では伊藤博文や井上馨、陸奥宗光らとともに外国事務局御用掛に任じられたほか、初代大阪税関長も務めた。明治2年(1869年)の退官後は実業家として活躍し、特に大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)を設立するなど大阪財界の発展に貢献した。
寒燈:冬の夜のさびしい灯火
挑盡:「挑」は、灯心をかきたてる、ろうそくの芯を上に出すこと。「挑盡」は灯心をかきたて尽くして灯火が消えかかること。白居易《長恨歌》「孤燈挑盡未成眠」
沈沈:夜がしずかにふけるさま

餘論

大久保利通は大変な碁好きで、若い頃には碁を通じて島津久光に近づいたともいわれています。さらに非常に負けず嫌いであったため、碁に負けると露骨に不機嫌になり、家に帰ってから家族や書生に当たり散らしたという話もあります。「争心は元と是れ 無心に属す」というには程遠い気がしますが、えてして碁好きは勝つと能弁になり「そもそも碁とは・・・」などと講釈を垂れる傾向にあります。おそらくこの時も大久保のほうが勝ったのではないかと思われます。

明治8年2月11日、大久保・木戸孝允・板垣退助の三者(伊藤博文・井上馨が同席)が今後の政治体制について協議した大阪会議が開かれますが、その準備と事前交渉には五代友厚が深く関与しており、明治7年の年末から明治8年の年始にかけての冬、大久保は五代の邸に長く滞在していました。両者は碁を打ちながら日本の未来について語り合ったのでしょう。この詩はそんな中で生まれた詩です。