中岡慎太郎の漢詩 慶應三年二月廿一日賦七律(慶応三年二月廿一日七律を賦す)

作者

原文

慶應三年二月廿一日賦七律

殆縛殆飢時殆死
單身會出故郷關
看花聽鳥膓空斷
歩月枕沙意更閑
夕擲千金輕似葉
朝求一飯貴於山
向人不語吾心事
唯在悠々行路間

訓読

慶応三年二月廿一日七律を賦す

殆んど縛され 殆んど飢え 時には殆んど死す
単身 会(たまたま)出づ 故郷の関
花を看 鳥を聴けば 膓 空しく断ち
月に歩み沙に枕すれば意 更に閑かなり
夕べに千金を擲つの軽きこと葉に似るも
朝に一飯を求むること山より貴し
人に向かひて語らず 吾が心事
唯だ在り 悠々たる行路の間

慶應3年2月21日七言律詩を詠む

かつて私はあやうく捕まりそうになったり、飢えてしまいそうになったり、時には死にかけたこともあった
ちょうどそんな折、たったひとりで故郷をあとにして脱藩した
春の花を見、鳥の声を聞けば、時の流れに、はらわたが断ち切られるような悲しみを感じるが
秋の月のもとを歩み、水辺の砂地で眠れば、心はすっかりのどかになる
あるときには大義のため千金もの大金であっても葉っぱのように投げ捨てたが
またあるときには生きていくためにたった一度の飯を山より貴重なものとして求めた
こんな私の心のうちを、他人に向かって語ることなどしない
私の思いは私が歩んできた遥かなる旅路のうちにのみあるものなのだ

:ほとんど
:しばる。とらえる。捕縛する。
:たまたま。偶然に。ちょうどそのときに。
看花聽鳥:花を見、鳥の声を聞くにつけ。杜甫《春望》「感時花濺淚 恨別鳥驚心」をふまえていよう。
腸空斷:「腸斷」ははらわたが断ち切られるほどに悲しむ、心が痛むこと
心事:心に思っていることがら

餘論

中岡慎太郎の日記「行行筆記」の慶応3年2月21日の項に、「晴、寒気如冬、此日賦七律」との記述のあとにこの詩が記載されています。題は示されていないため、便宜上、上記のとおりの題を仮につけました。このとき中岡は大宰府にあり、数日後には三条実美の命を受けて薩摩へ向かい、三条ら五卿の赦免と帰洛について交渉をおこなうことになります。
「夕べに千金を擲つの軽きこと葉に似るも 朝に一飯を求むること山より貴し」というのは、幕末の志士たちと彼らを支援した大名・公家たちを取り巻く時代の雰囲気を見事に表現しています。そういえば中岡の盟友である坂本龍馬も、一介の脱藩浪士でありながら、福井藩最高実力者松平春嶽から神戸海軍操練所設立資金として五千両の支援を引き出しています。大金を払うほうも傑物ならば、受け取るほうもまた英雄。すごい時代だったというほかはありません。

なお、「行行筆記」では五句目は「夕擲千金如糞土」となっていますが、「維新土佐勤王史」(瑞山会編集、大正元年刊)では「夕擲千金輕似葉」となっています。六句目との対句の構成を考えると後者のほうが整っているため、ここでは後者を採りました。