大久保利通の漢詩(3) 下通州偶成(通州を下りての偶成)
作者
原文
下通州偶成
奉勅單航向北京
黑煙堆裏蹴波行
和成忽下通州水
閑臥蓬窓夢自平
訓読
通州を下りての偶成
勅を奉じて単航 北京に向かひ
黒煙堆裏 波を蹴って行く
和 成りて忽ち下る 通州の水
閑かに蓬窓に臥せば夢 自ら平らかなり
訳
通州の運河を下りながらたまたま出来た詩
交渉をおこなうべく勅命を奉じて船一隻で北京へ向かい
黒い煙が立ち込める中を蒸気船が波を蹴って進んだ
無事、和議が成り、ただちに通州の運河の水を下っていく
心しずかに船の窓べりで横になって眠れば、夢も自然とおだやかだ
注
通州:現在の北京市通州区。北京と天津を結ぶ運河の北端に位置する。
勅:勅命。天皇の命令。
單航:一隻の船。実際には、大久保の率いる使節団は「龍驤」(当時の日本海軍の旗艦)と「筑波」の2隻の軍艦で渡清した。全権である大久保は「龍驤」に乗艦した。ここでは、「国のため危険もかえりみず単身乗り込んだ」というイメージを出す意味もあって「單航」と表現したのであろう。
黑煙堆裏:「黑煙」は蒸気船の排出する黒い煙。「堆」は「積み重なる」、「裏」は「うち、なか」
篷窓:船の窓。「篷」は竹や茅で編んだ船の覆いのことで、転じて船そのものも指す。
餘論
明治7(1974)年8月、大久保は台湾出兵後の和平交渉のため、全権弁理大臣として清国の首都北京へ向かいます(台湾出兵については「訪石門戰場偶成」をご覧ください)。当初、交渉は難航しますが、駐清イギリス公使の調停もあり、10月末、ようやく「日清両国互換条款」が調印されました。これが転句の「和成」です。和議の内容は、
というものでした。清国が日本の出兵を「保民の義挙」と認めるということは、出兵の発端となった殺害事件の被害者である宮古島民を日本国民であると認めるということであり、これはすなわち、宮古島を含む琉球が日本領であることを清国が認めたということになります。維新後、清国との間で争われていた琉球帰属問題に対して、間接的表現ながら日本の領有権を認めさせたことは日本にとっては大きな収穫であり、また、「見舞金」「設備買い取り」という名目ながら事実上の賠償金を勝ち取ったということで、大久保は大歓迎のなか帰国したようです。もし和議の内容がもっと日本に不利なものであったら、到底、「夢自ずから平らかなり」とはいかなかったでしょう。
- 清国は日本の台湾出兵を「保民の義挙(自国民保護という正義のための行動)」と認める
- 日本は12月20日までに撤兵する
- 清国は殺害事件被害者への見舞金として日本に10万テールを支払う
- 清国は日本が占領中に台湾に設置した設備を40万テールで買い取る
というものでした。清国が日本の出兵を「保民の義挙」と認めるということは、出兵の発端となった殺害事件の被害者である宮古島民を日本国民であると認めるということであり、これはすなわち、宮古島を含む琉球が日本領であることを清国が認めたということになります。維新後、清国との間で争われていた琉球帰属問題に対して、間接的表現ながら日本の領有権を認めさせたことは日本にとっては大きな収穫であり、また、「見舞金」「設備買い取り」という名目ながら事実上の賠償金を勝ち取ったということで、大久保は大歓迎のなか帰国したようです。もし和議の内容がもっと日本に不利なものであったら、到底、「夢自ずから平らかなり」とはいかなかったでしょう。
此の吟詠を聞きたい
返信削除