榎本武揚の漢詩(2) 出五稜郭(五稜郭を出づ)
作者
原文
出五稜郭
七重濱接五稜郭
耳熟朝朝喇叭聲
一夜松杉林外雨
懷來感往到天明
訓読
五稜郭を出づ
七重浜は接す 五稜郭
耳は熟す 朝朝喇叭の声
一夜 松杉林外の雨
懐来感往 天明に到る
訳
五稜郭を出る
新政府軍と激戦をくりひろげた七重浜は五稜郭のすぐ近く
毎朝鳴り響く進軍ラッパの音にすっかり耳が慣れてしまった
降伏を決めたこの夜、松林杉林を包んで降りしきる雨
いろいろな思いが頭の中を行き来しているうちに明け方になってしまった
注
七重濱:函館湾に面する浜辺。現在の北海道北斗市七重浜。五稜郭の北西に位置する。旧幕府軍は明治2年5月、七重浜の新政府軍に対し数度にわたって夜襲をしかけたが、その進撃を止めることはできず、5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始された。
熟:慣れる。
懷來感往:「懷感來往」の互文であろうか。いろんな思いが行ったり来たりする。
天明:夜明け。明け方。
餘論
明治2年5月11日、新政府軍が箱館総攻撃を開始、午前中には箱館市街を制圧し、翌12日には五稜郭への砲撃も始まって、旧幕府軍の敗北は確定的となります。12日夜、新政府軍は五稜郭に降伏勧告の使者を送りますが、榎本は14日、いったんこれを拒絶。しかし、16日夕、新政府側へ翌朝までの休戦を申し入れ、その夜、旧幕府軍首脳は協議の結果、降伏を決定します。翌17日朝、榎本ら旧幕府軍幹部が新政府軍の屯所へ出頭し、幹部が処罰を受けるかわりに兵士たちは罪に問わないことを条件に降伏を申し出ますが、新政府側はこの条件に難色を示して交渉が難航、最終的に旧幕府側が譲歩して無条件降伏で合意します。翌18日朝、榎本らがあらためて新政府軍の屯所を訪ねて正式に降伏、五稜郭も開城して箱館戦争および戊辰戦争が終結します。
以上の経緯から、この詩が造られたのは5月16日か17日の夜であろうと考えられます。
以上の経緯から、この詩が造られたのは5月16日か17日の夜であろうと考えられます。
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