西郷隆盛の漢詩 中秋賞月(中秋月を賞す)

作者

原文

中秋賞月

中秋歩月鴨水涯
十有餘回不在家
自笑東西萍水客
明年何處賞光華

訓読

中秋 月を賞す

中秋 月に歩す 鴨水の涯(ほとり)
十有餘回 家に在らず
自ら笑ふ 東西萍水の客
明年 何れの處にか光華を賞せん

中秋に月をめでる

中秋のこの日、月の光のもと、鴨川べりを歩いていく
思えば、この十年あまり、月見のときに故郷の家にいたことがない
自分で笑うしかないが、東へ西へと浮草のようにさすらう私は
来年にはいったいどこで月の光をめでることになるのだろうか

中秋:秋の中ごろ。特に秋の真ん中、陰暦8月15日。いわゆる「中秋の名月」の日であり、家族で月見をする日。
鴨水:京都の鴨川。
:水のほとり
萍水客:浮草が水に漂うようにさすらう旅人
光華:月の光

餘論

慶應元年(1865年)の作。この年、西郷は1月に結婚、3月には上洛して朝廷工作、5月初めに坂本龍馬をつれて帰薩、閏5月には薩長和解のため桂小五郎と会談すべく下関へ向かいましたが、京都の情勢が緊迫したため下関寄港を中止して急遽上洛。その後、10月まで京都で朝廷工作と坂本龍馬を介した長州との交渉などに奔走。10月初めにはいったん帰薩するものの10月15日には再び上洛し、薩長同盟締結に向けた交渉を本格化させ、翌慶應2(1866)年1月には薩長同盟が締結されます。この詩が作られたのはまさに幕末維新の最大のターニングポイントを目前にした時期であり、西郷自身がその歴史の渦のど真ん中にいたため、故郷の家でのんびり月見など考えられない状況でした。だからこそ異郷の地で中秋の名月を眺めて感慨を深めたのでしょう。「水」字の重出が不注意ですが、全体としては見事な作りの詩です。