伊藤博文 兵庫常盤樓上口占(兵庫常盤楼上の口占)

作者

原文

兵庫常盤樓上口占

滿座無人不故人
相逢談舊且談新
若令人事如吾意
四海一家天地春

訓読

兵庫常盤楼上の口占

満座 人の故人ならざるは無く
相ひ逢ひて舊を談じ且つ新を談ず
若し人事をして吾が意の如くならしめば
四海一家 天地は春ならん

兵庫の常盤楼で口ずさんでできた詩

満座の人々はみな古い知り合いばかりで
互いに顔をあわせて昔の思い出話をしたり近況を語り合ったり。
もし人間社会の物事をすべて私の意のままにすることができれば
世界みな家族同然仲良く、この世は春のようにのどかになるだろう

常盤樓:かつて神戸の諏訪山温泉街にあった温泉料亭。神戸の花隈町に料亭「常盤花壇」を営んでいた前田又吉が、明治の初め、諏訪山に温泉が出たのを機に、常盤花壇を諏訪山に移し、常盤楼と名付けた。この詩が作られた明治15(1882)年頃には、常盤中店・西店・南店の3店舗が諏訪山で営業し、非常に繁盛していたという。その後、第2次世界大戦時に一帯は空襲で焼かれ、常盤楼も温泉街も今はない。
口占:「口號」に同じ。口ずさむ。口ずさんでできた詩。
故人:古くからの友人。
人事:人間社会の事柄。
四海:四方の海。転じて天下。世界。

餘論

明治15(1882)年の作。神戸新報の明治15年1月15日の記事によると、地元の有力者、北風正造・神田兵右衛門・藤田積中らが伊藤博文のほか森岡昌純兵庫県令、芳川工部少輔(工部省の次官)などを常盤楼に招いて饗応したということなので、おそらく、そのときのことを詠んだ詩なのでしょう。伊藤は明治元(1968)年から翌年まで初代兵庫県知事をつとめたので、地元の有力者たちもみな顔なじみだったようです。