伊達政宗の漢詩(2) 朝鮮之役載一梅而歸栽之後園詩以紀(朝鮮の役に一梅を載せて帰り、之を後園に栽う。詩 以て紀す)
作者
原文
朝鮮之役載一梅而歸栽之後園詩以紀
絶海行軍歸國日
鐡衣袖裡裹芳芽
風流千古餘淸操
幾歳閑看異域花
訓読
朝鮮の役に一梅を載せて帰り、之を後園に栽う。詩 以て紀す
絶海の行軍 帰国の日
鉄衣袖裡 芳芽を裹む
風流千古 清操を余さん
幾歳か閑かに看ん 異域の花
訳
朝鮮の役の際に一株の梅を載せて帰り、それを屋敷の裏庭に植えた。詩でもってそのことを記録する
海を越えておこなった戦が終わり、帰国する日
私は鎧の袖の中に梅の苗木をつつんで持って帰った
この梅の風流は千年もの先までも続き、その清らかさを伝えることだろう
あと何年になるかはわからないが、私も心しずかにこの異国生まれの花を観賞しよう
注
朝鮮之役:豊臣秀吉による朝鮮出兵。文録の役(1592~1593)・慶長の役(1597~1598)。政宗は文録の役に従軍し、朝鮮南部沿岸の築城などに参加した。慶長の役には従軍していないので、この詩の梅を持ち帰ったのは文録の役の際である。
鐡衣:鎧
芳芽:かぐわしい芽。梅の苗木のこと。
千古:千年の長い間。過去の千年のことだけでなく、将来の千年のことにも用いる。
淸操:清らかなみさお。
餘論
詩の中では「袖の中に梅をつつんで」と表現していますが、実際には兜を鉢にして梅の苗木を持ち帰ったと伝えられています。政宗の隠居城として仙台城の近くに築かれた若林城跡にあたる宮城刑務所構内には現在も朝鮮梅と呼ばれる梅の木が残っており、それがこの詩に詠まれている梅だと言われています(ただ、宮城郡松島町の瑞巌寺というお寺にも政宗が朝鮮から持ち帰ったと伝わる紅白の梅があります)。
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