高杉晋作の漢詩 學舍偶成(学舎偶成)

作者

原文

學舍偶成

不爲浮名屈此身
靑天白日見天眞
明倫館裏談経義
畢竟明倫有幾人

訓読

学舎偶成

浮名の為めに此の身を屈せず
青天白日 天真を見る
明倫館裏 経義を談ずるも
畢竟 明倫するは幾人か有る

学び舎でたまたま出来た詩

俺は虚名を得るために卑屈になるようなことはしない
晴れ渡る青空に輝く太陽のもとでこそ、天から与えられた自分の本当の性質が見えるのだ
この明倫館の中では皆が経書の内容について議論しているが
結局のところ、学舎の名前のとおり人倫を明らかにすることができる者がいったい何人いることだろうか

浮名:実際の値打ちに過ぎた評判・名声。虚名。
青天白日:青空と輝く太陽。よく晴れ渡っているさま。転じてやましいところが何もないことのたとえ。
天眞:天から与えられた純粋の性。うまれつきの本性。
明倫館:長州藩の藩校。高杉は嘉永5年(1852年)、明倫館に入学、安政4年(1857年)に明倫館入舎生に進級した。その後、江戸遊学から帰藩後の万延元年(1860年)には明倫館舎長に任命されている。
経義:経書(四書五経など聖人や賢人の言行・教えを記した書籍)の意味。経書に述べてある道理。
畢竟:結局のところ
明倫:人倫(人としておこなうべき道)を明らかにする

餘論

長州藩の藩校明倫館は、水戸藩の弘道館(参考:徳川斉昭「弘道館賞梅花」)、岡山藩の閑谷黌と並ぶ、日本三大藩校の一つで、吉田松陰桂小五郎もここで学びました。そのような藩の最高学府に対しても高杉は冷静な批判の目を向け、校名のとおり「明倫」することのできる者は幾人もいないだろう、と嘆いています。その裏には当然、「自分は彼らとは違う」という若者らしい自負があるのでしょう。生意気といえば生意気ですし、明倫館の他の学生がこの詩を読んだらきっと激怒したでしょうが、ただ、勉強というのはのめり込めばのめり込むほど、本来の目的を見失いがちになるというのは事実で、結句の「畢竟 明倫するは幾人か有る」という批判的な視点を、自分自身に対して常に持っておくことは必要かもしれません。