徳川斉昭の漢詩 弘道館賞梅花(弘道館に梅花を賞す)

作者


原文

弘道館賞梅花

弘道館中千樹梅
淸香馥郁十分開
好文豈謂無威武
雪裡占春天下魁

訓読

弘道館に梅花を賞す

弘道館中 千樹の梅
清香 馥郁として 十分に開く
好文 豈に謂はんや 威武無しと
雪裡に春を占む 天下の魁

弘道館で梅の花をめでる

弘道館の中の千本の梅が
清らかな香をただよわせながら満開となっている
梅に「文を好む」という別名があるからといって、武の勇ましさがないなどとどうしていえようか
まだ雪が残る厳しい寒さをものともせず天下に先駆けて春を独占するのはこの梅なのだ

弘道館:天保十二年(1841年)、斉昭が水戸城三の丸内に創設した藩校。青山延宇(号:拙斎)と会沢正志斎が初代総裁を務めた。文館では諸学問の教育・研究、武館では兵学・剣術・槍術・馬術・柔術・砲術などの鍛錬がおこなわれた。別に医学館も設置され自然科学の教育・研究もおこなわれた。明治元年10月(1868年11月)に発生した弘道館戦争(水戸藩内の保守派と改革派の戦争)で多くの建物が焼失した。その後、「弘道館公園」となり、焼失を免れた正門・正庁・至善堂は国の重要文化財に指定されている。
千樹梅:斉昭の意向により、弘道館内には創設当初から多くの梅が植えられた。斉昭は自ら『種梅記』を撰し、その理由を以下のように述べている。「夫梅之爲物華則冒雪先春爲風騷之友實則含酸止渇爲軍旅之用(夫れ梅の物たる、華は則ち雪を冒し春に先んじて風騒の友と為り、実は則ち酸を含んで渇きを止め軍旅の用と為る=そもそも、梅というものは、その花は雪にも負けず春に先んじて風雅の友となり、その実は酸っぱさを含むのでのどの渇きを止め行軍の役に立つ)」
馥郁:香りの高いさま。香気がゆたかにたちこめるさま。
好文:文字通りには「文を好む」。梅の別名を「好文木」という。晋の武帝が学問に親しめば梅が開き、学問をやめると開かなかったという故事による。
威武:強く勇ましい武の力。
:さきがけ。第一。首位。

餘論

そろそろ梅の蕾がふくらんできたので、水戸の烈公の有名な梅の詩を紹介しておきます。

梅が「好文木」という別名を持つことを逆手にとって、「文を好む」からといって「文弱」ではないぞ、と詠むレトリックは巧みですし、「好文」でありながら「威武」も備えている梅の姿は、文武の両館を設けた弘道館の教育方針の象徴となっており、詩題ともしっかり合致しています。烈公らしい力強い詠みぶりですが、起承の流れに滞りがなく、スムーズに転結につながっており、見事な作品だと思います。