勝海舟の漢詩 過遠州灘(遠州灘を過ぐ)

作者

原文

過遠州灘

丹心憂國幾艱難
西走東奔未處安
大海風波何足恐
一年三過遠州灘

訓読

遠州灘を過ぐ

丹心 国を憂へて幾艱難
西走東奔して未だ安きに処らず
大海の風波 何ぞ恐るるに足らん
一年 三たび過ぐ 遠州灘

遠州灘を通過する

真心から国を憂えて、いくつもの困難に立ち向かい
西へ東へと駆けずり回り、安寧な暮らしに落ち着くことなどまだまだ出来ない
国のためと思えば、大海の荒波など恐れるに足りない
この一年で私は何度となく、遠州灘を通過しているのだ

遠州灘:静岡県御前崎から愛知県伊良湖岬まで、旧遠江国(遠州)に面する海域。潮流が速く、波が荒いため、海の難所として知られた。
丹心:真心。
艱難:悩み苦しみ。
西走東奔:東奔西走に同じ。
處安:「處」は動詞で、「いる」「落ち着く」。「安」は安らかな状態。
三過:「三」は「三たび」と訓じるが、文字通りに「3回」の意味だけでなく、「しばしば、たびたび、何度も」の意味をあらわすことも多い。後述のとおり、勝が実際に遠州灘を通過したのは3回にとどまらないので、ここでも「3回」ではなく「何度も」の意味であろう。

餘論

制作時期が明確ではありませんが、結句の「一年三過遠州灘」に当てはまるのは文久3(1863)年頃です。

文久2年12月:弟子となった坂本龍馬を連れて幕府軍艦「順動丸」で海路、江戸から兵庫へ
文久3年 1月13日:龍馬らとともに順動丸に乗船して江戸へ向かう
文久3年 1月23日:順動丸で江戸を出て大坂へ
文久3年 2月 6日:順動丸で大坂から江戸へ
文久3年 2月24日:順動丸で江戸から大阪へ

まさに東奔西走、1年どころかわずか3ヶ月ほどの間に5回、遠州灘を通過しています。そして、このあと、4月には神戸海軍操練所(⇒「丙寅初秋題神戸海軍舊趾」を参照)の設立が決定し、日本が自前の海軍を持つという勝の夢が一歩実現に近づきます。まさに「大海の風波 何ぞ恐るるに足らん」という意気込みだったに違いありません。