西郷隆盛の漢詩 田獵(田猟)

作者

原文

田獵

驅兎穿林忘苦辛
平生分食犬能馴
昔時田獵有三義
勿道荒耽第一人

訓読

田猟

兎を駆り 林を穿ち 苦辛を忘る
平生 食を分かちて 犬能く馴る
昔時 田猟に三義有り
道(い)ふなかれ 荒耽第一の人と

狩猟

兎を追い立て、林の中を走りぬけていくと、楽しさで日頃の苦労もすっかり忘れる
普段からいつも同じ食べ物を分け合って暮らしているから、猟犬もよく馴れてしっかり働いてくれる
昔から狩猟には3つの大事な意義があるといわれている
だから、狩猟好きの私のことを、趣味にばかり溺れているやつだなどと言わないでくれ

田獵:狩猟
穿林:林の中を通りぬけていく。「穿」は穴をあける、貫く、の意。
苦辛:苦しく辛いこと。
分食:ひとつの食事を自身と猟犬で分け合う。西郷は猟犬を非常に大切にし、東京に住んでいた頃は自宅で数十頭もの犬を飼育していたという。
田獵有三義:《禮記・王制篇》によれば、狩猟には①祭祀の供物をととのえる ②賓客をもてなす ③主君の台所を充足させる という3つの目的がある。《禮記・王制篇》「天子諸侯無事則歳三田。一爲乾豆、二爲賓客、三爲充君之庖。」さらに、西郷の場合には肥満解消のための運動という側面もあった。
荒耽:酒色などよくないことに耽溺すること

餘論

西南戦争の最中でも狩りをしていたというほど狩猟好きだった西郷でなければ作れない詩でしょう。実際のところ、好きなことに理由などはないものなのですが、しかし、趣味にのめりこむことをとがめられ、なるべく立派ないいわけを必要とする人は世の中に結構いるはずです。西郷はそのいいわけとして、儒学の聖典である五経のひとつ「礼記」を持ちだして来ます。これほど立派な大義名分はないでしょう。さすがは西郷どんです。