福澤諭吉の漢詩 己卯除夜

作者

原文

己卯除夜

今是昨非嗟己遅
春風秋月等閑移
頭顱四十六齡叟
老卻一年無一詩

訓読

己卯除夜

今是昨非 己の遅なるを嗟(なげ)く
春風 秋月 等閑に移る
頭顱四十六齡の叟
老却して一年に一詩無し

己卯の年(明治12年)の除夜

今までの自分が間違っていたことを今になって悟るとは我ながら遅いことと嘆くばかり
春の風も秋の月も気に留めずなおざりにして過ごしてきてしまった
このしゃれこうべめも今や四十六歳の年寄り
老化してしまって一年に一首の詩も作れなかった

己卯:明治12年(1879年)
今是昨非:今までが間違っていたことを今になって悟る。陶淵明《歸去來辭》「覺今是昨非」
:なげく
等閑:なおざりに。いい加減に。
頭顱:あたま。頭蓋骨。しゃれこうべ。転じて引退した人。
:おきな。年寄り。
老却:老いてしまう。「却」は動詞のあとにつけて「~しおわる」「~してしまう」という意味を添える助字。
一年無一詩:実際には福澤はこの年、十首あまりの詩を作っているので、「一詩も無し」というのはあくまでレトリックである。

餘論

今日は大晦日ですので、除夜の詩を紹介します。
今年も終わりとなれば、どうしても反省や後悔がいろいろと込み上げてくるので、詩もネガティブなものになりやすく、福澤のこの詩もご多分にもれず、ため息にあふれています。もっとも、「一年無一詩」という嘆きを詩にしてしまっているのはわかりやすすぎる矛盾ではあります。

ともあれ、ため息は今年のうちに吐きつくして、年が明けたら心機一転、前を向くこととしましょう。今年一年(実際はMediumに移って半年ですが)、「日本の漢詩文」をご覧いただいた皆様、ありがとうございました。来年も「日本の漢詩文」をよろしくお願いいたします。