渋沢栄一の漢詩 太平洋航海中偶成 其二(太平洋航海中の偶成 其の二)

作者


原文

太平洋航海中偶成 其二

火輪一路向東馳
地轉天旋斗柄移
莫道靑年難重遇
有斯一日再來時

航海中重逢五月二十日蓋航太平洋者數理上必重一日也

訓読

太平洋航海中の偶成 其の二

火輪 一路 東に向かって馳す
地 転じ 天 旋り 斗柄 移る
道ふ莫れ 青年 重ねては遇ひ難しと
斯の一日 再び来たる時有り

航海中、重ねて五月二十日に逢ふ。蓋し太平洋を航する者は数理上必ず一日を重ぬるなり。

太平洋航海中たまたま出来た詩

蒸気船は一路、東に向かって進んでいく
その間に天地がめぐり北斗七星も位置を変え、時が流れていく
青年時代は二度はめぐって来ないなどと言うなかれ
今日のこの日はもう一度めぐって来る時があるのだから

(作者注)航海中、5月20日を2回経験した。そもそも、太平洋上を航海する場合、理論上、必ず一日を2回経験することになる

 

偶成:たまたま出来た詩
火輪:火輪船の略。蒸気船のこと。
地轉天旋:時間がたって天下の情勢が一変すること。「天旋地轉」「天地旋轉」に同じ。ここでは航海中の時間が経過することを大げさに表現したもの。 白居易《長恨歌》「天旋地轉廻龍馭」
斗柄:北斗七星の、ひしゃくの柄にあたる三つ星。
道:言う。
重逢五月二十日:西太平洋上でいったん5月20日から21日になったが、日付変更線をこえたことで再び5月20日になったことを指す。

餘論

明治35年(1902年)、栄一は欧米視察旅行に出発します。5月15日に横浜を出港し、23日にハワイに寄港しました。この詩は、その間に日付変更線を越えたことを機知に富んだ筆致で面白く詠んでいます。西から東へ日付変更線を越える際に、「1日得した気がする」というのは今でも多くの人が口にすることですが、その感想を漢詩に詠むのは容易なことではありません。詩人としての力量に感服します。

ハワイを出発後、30日にはサンフランシスコに到着して米国に上陸、7月2日にはニューヨークを出発して英国へ向かい、10日にはロンドンに入りました。その後、英国・ドイツ・ベルギーを訪れたのち、9月7日には思い出深いフランスのパリを訪れます。この時に詠まれたのが、「巴里 其一」「巴里 其二」「武侖公園」などの懐古の詩です。