渋沢栄一の漢詩 巴里 其一(巴里 其の一)

作者

原文

巴里 其一

一花一草總關情
觸目山河皆舊盟
俯仰豈無今昔感
秋風吹夢入巴城

訓読

巴里 其の一

一花 一草 総て情に関す
目に触るる山河 皆な旧盟
俯仰すれば 豈に無からんや 今昔の感
秋風 夢を吹いて 巴城に入る

パリ その一

一輪の花、一本の草、すべてが私の心を揺り動かす
目にふれる山河はみな昔なじみの仲間のようだ
うつ向いて下を見ても、上を仰ぎ見ても、時の流れを感じずにはいられない
秋風に思い出を吹かれながら三十余年ぶりにパリの街に入っていくのだ

巴里:パリ。フランスの首都。
關情:心を動かす。感情を呼び起こす。 陸龜蒙《又酬襲美次韻》「酒香偏入夢、花落又關情」
舊盟:昔かわした盟約、誓い。昔に誓いをかわした盟友。
俯仰:うつむくことと仰ぎみること。
今昔感:今と昔をくらべて時代の移り変わりに深く感じること。
夢:眠っている間に見る夢以外に、はかない現象や、ぼんやりした幻のようなものも意味する。ここでは、かつてのパリを思い浮かべ懐かしむ思いのことであろう。
巴城:巴里城の略。パリの街。「城」は城壁をめぐらした街全体のこと。

餘論

渋沢は、将軍徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣された徳川昭武に随行して、慶應3年1月(1867年2月)横浜を出発してフランスへ向かい、慶應3年3月(1867年4月)にパリに到着しました。以後、ヨーロッパ各地を視察して見聞を広めながら、明治元年9月(1968年10月)までフランスに滞在しました。この詩は、その三十数年後、明治35年(1902年)に再びパリを訪れた際に、当時を懐かしんで詠んだ詩です。

最初にパリを訪れたのが、渋沢27歳、再訪したのは62歳。60歳を過ぎて20代の青春時代を思い起こすというのがどのような感情なのか、それだけでも僕にはまだ想像がつきませんが、加えて、その舞台が故郷を遠く離れた異国で、時代も大きく変わった(日本は幕末から明治へ、フランスは第2帝政から第3共和政へ)ことを考えれば、「今昔の感」という言葉では言い尽くせない思いが胸にあふれていたことでしょう。起句の「一花一草が心を揺り動かす」というのも決して誇張ではなかったはずです。