渋沢栄一の漢詩 寄井上伯駐在朝鮮京城(井上伯の朝鮮京城に駐在するに寄す)

作者


原文

寄井上伯駐在朝鮮京城

鷄林豈莫物華新
利用厚生妙在人
好是嚴霜肅殺後
和風一道點陽春

訓読

井上伯の朝鮮京城に駐在するに寄す

鶏林 豈に物華の新たなること莫からんや
利用 厚生の妙は人に在り
好し是れ 厳霜 肅殺の後
和風一道 陽春に点ず

朝鮮の京城に駐在する井上伯爵に向けて贈る詩

朝鮮の景色が新たに生まれ変わることが、どうして無いはずがあろうか
事物をうまく活用して世の中を豊かにするカギは人にある
素晴らしいことに、厳しい霜が草木を枯らしてしまった後には
ひとすじの穏やかな風が、明るく暖かな春に添えられる季節がめぐり来るのだ

井上伯:井上馨(1836~1915)。外務大臣・農商務大臣・内務大臣などを歴任し、日清戦争の開始後の1894年10月に伊藤博文内閣の内相から朝鮮公使に転任した。明治17年(1884年)に伯爵、明治40年(1907年)に侯爵にのぼった。留守政府時代、大蔵大輔として渋沢の上司であり、明治6年には、井上と渋沢はともに大蔵省を退任し、政府財政基盤の確立を訴える建議書を連名で公開した(→「解印 其二(渋沢栄一)」)。
京城:朝鮮の首都ソウル
鷄林:朝鮮のこと。もとは新羅の別名。
物華:物の光、輝き。よい景色、風景。
利用厚生:物を役立つように用いて生活を豊かにすること。 《書経・大禹謨》「正徳利用、厚生惟和」
好是:①ちょうど~である。「正是」「恰是」に同じ。 ②すばらしいのは~である。 ここでは②の意にとった。
肅殺:秋の厳しい気候が草木を枯らすこと
陽春:あたたかな春の時節。

餘論

日清戦争のさなか、内務大臣から朝鮮公使に転じた井上馨に向けて渋沢が贈った詩です。朝鮮に赴任した井上は、開化派の金弘集内閣の近代化改革(甲午改革)を支援しました。起句の「物華新」というのはこのことを指しているのでしょう。朝鮮でもきっと日本のように近代化が実現して世の中が一新され、近代文明の利器によって人々の生活も豊かになるはずだ、そのカギは人にある、つまり公使として赴任する井上の双肩にかかっている、というのが起承の句意だと思います。

転結では、厳しい霜が草木を枯らす辛い季節の後にこそ、素晴らしい春がやってくるのだと述べています。井上の赴任は10月ですから、まさに「嚴霜肅殺」の季節を迎えようとする時期であり、表面上はそのことを指しながら、含意としては改革にともなう非常な困難を乗り越える必要を説いているのでしょう。

大蔵省時代、上司の井上は部下の渋沢を右腕として頼り、渋沢もそれによく応えたといいます。井上をさとすかのようなこの詩の内容からは、二人の関係性が垣間見えるのではないでしょうか。