渋沢栄一の漢詩 輓藍香尾高先生 其一(藍香尾高先生を輓く 其の一)

作者


原文

輓藍香尾高先生 其一

人間何處認淸姿
夢破春宵玉漏遲
長憶藍香書院夕
庭前秉燭學詩時

訓読

藍香尾高先生を輓く 其の一

人間 何れの処にか 清姿を認めん
夢破れて 春宵 玉漏 遅し
長へに憶ふ 藍香 書院の夕べ
庭前 燭を秉って詩を学びし時を

尾高藍香先生をいたむ

もう、この世のどこにもあなたの清らかな姿を見つけることができない
悲しみで目が覚めてしまう春の夜、眠れずにいると時計が進むのも遅く感じる
私はこの先もずっと忘れることはないだろう、昔、あなたの家で夕方に
手に灯りを持ちながら庭先で詩を学んでいた時のことを

輓:人の死を悼み悲しむ。原義は車などを引くこと。葬儀の際、柩を載せた車を引くことから、死者をいたむ意に転じた。
藍香:尾高惇忠(1830~1901)の号。栄一の母方のいとこ。また、栄一の妻・千代と養子・平九郎の兄でもある。幼少時から学問に秀で、自宅に私塾を開いて栄一ら近隣の子弟を集めて指導した。尊皇攘夷思想に傾倒し、栄一らとともに倒幕の挙兵を計画したこともあった。戊辰戦争時には幕府方の彰義隊、次いで振武隊に参加して官軍に敗れ、郷里へ落ち延びた。維新後は栄一との関係から、富岡製糸場場長、第一国立銀行の支店支配人などを務めた。養蚕技術の改良や普及にも貢献した。明治34年(1901年)1月2日没。
人間:人の世。
玉漏:玉で作った美しい水時計。また、宮中や貴人の家の水時計。ここは単に時計の美称として用いているのであろう。
長:とこしえに。永遠に。
書院:書斎。また、学問の講義をする所。ここでは若き日の惇忠が私塾を開いていた自宅のこと。

餘論

少年時代から青年時代の栄一にとって惇忠は、先生であるとともに、頼れる兄貴分であり、同志でもありました。大河ドラマ『青天を衝け』のタイトルの由来となった詩「内山峡」も惇忠との旅の際に詠まれたものであり、二人はこの旅行中に詠んだ詩を『巡信紀詩』という詩集にまとめています。

彼に対する尊敬の念は、栄一が日本の経済を牽引する第一人者となってからも全く変わらなかったこと、その敬意の原点は少年時代に接した「惇忠兄」の人柄と教えにあったことがこの詩から読み取れます。