渋沢栄一の漢詩 病中偶成 其一(病中偶成 其の一)

作者


原文

病中偶成 其一

耳無絲竹目無書
一臥困頓旬日餘
却笑此中禪味在
大迷想是大悟初

訓読

病中偶成 其の一

耳に糸竹無く 目に書無し
一臥 困頓すること 旬日余
却って笑ふ 此の中に禅味の在るを
大迷は 想ふに是れ 大悟の初めなり

病中でたまたま出来た詩

耳に音楽の楽しみもなく、目に読書の楽しみもない
ひとたび病に臥して疲れ苦しむこと十日あまり
かえっておかしいのは、こんな苦しみの中に禅のおもむきが存在することだ
思うに、大いなる迷いは大いなる悟りの始まりなのだ

偶成:偶然できた詩
絲竹:音楽。「絲」は弦楽器、「竹」は管楽器。
困頓:疲れ果てる、苦しみ倒れる。
旬日:十日間。
禪味:禅のおもむき。
大迷・大悟:道元禅師の『正法眼蔵』「現成公案」の巻に「迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり」などとある。

餘論

明治36年(1903年)11月、渋沢はインフルエンザに罹患、さらに喘息と中耳炎を併発して病床に伏しました。この詩はその際に詠まれた詩です。12月には鼓膜切開の手術を受けてやや快方に向かったようですが、体調不良はその後も続いたようで、翌年3月には国府津で1ヶ月あまり転地療養に入ります。4月には東京に帰りますが、その途端、肺炎に侵され再び病床に伏すことになりました。6月には明治天皇から見舞いの菓子を賜ってやや回復したものの、8月には箱根で再び1ヶ月弱、転地療養することになります。結局、1年近く断続的に体調不良をきたしていたわけで、身体的にかなりしんどい期間だったと思われます。

病に苦しむ中で詩を詠むこと自体がすごいことですが、その上、結句のような境地を見出すところが偉人の偉人たるゆえんなのでしょう。渋沢ほどの人物だけに、結句も詩の上の単なるレトリックではなく、実感として得られたものなのでしょう。僕のような小人物は二百年生きてもこの境地に達することはないと思われます。