渋沢栄一の漢詩 哭德川前將軍(徳川前将軍を哭す)

作者


原文

哭德川前將軍

嘉遯韜光五十春
英姿今日化靈神
至誠果識天人合
赫赫鴻名遍四隣

訓読

徳川前将軍を哭す

嘉遯 韜光 五十春
英姿 今日 霊神と化す
至誠 果たして識る 天人の合するを
赫赫たる鴻名 四隣に遍し

前将軍徳川慶喜公の死を嘆き悲しむ

立派な隠遁を続けてその才徳をつつみかくすこと五十年
その英姿はいまや神となられた
思っていたとおり、慶喜公の最高の真心は神と人の合わさったものだったのだ
赫赫たるその偉大な名声は四方の隣国まで鳴り響いている

德川前將軍:徳川慶喜(1837~1913)。徳川幕府最後の将軍にして、史上最後の征夷大将軍。渋沢栄一の旧主。大正2年(1913年)11月22日没。渋沢は慶喜の名誉回復を願い、その功績を後世に伝えるべく尽力した。
嘉遯:正しい道にかない、時宜を得た、立派な隠遁。
韜光:光をつつみかくす。才徳をかくして外にあらわさないこと。
五十春:五十年。鳥羽伏見の幕府軍敗戦後、慶喜が謹慎生活に入ってから亡くなるまで45年になる。その間、慶喜は表舞台に立つことなく、趣味に没頭する生活を続けた。
靈神:神靈に同じ。神。
至誠:この上ない真心。 《孟子・離婁上》「至誠而不動者、未之有也」
天人:天と人。神と人。
赫赫:あきらかなさま。さかんなさま。威名の輝くさま。
鴻名:大きな名誉、名声。

餘論

旧主慶喜に対する渋沢栄一の敬慕の念は生涯変わることがありませんでした。しかし栄一が願い続けた慶喜の名誉回復を企図した伝記が世に出るのはその死後のことであり、生前はついに「韜光」のまま50年近くを過ごすことになりました。起句は、一切の自己弁護を放棄して沈黙を守った慶喜の潔さをたたえる句ですが、その裏には栄一の悔しさが透けて見えるようでもあります。

明治20年代頃からは、徹底した恭順謹慎で内戦を避けた慶喜が再評価されるようになり、慶喜自身も従一位に昇り、公爵を受爵するなど、かつての朝敵の汚名は払拭されていたとも言えますが、結句のように「赫赫たる鴻名が四隣に鳴り響く」状況ではなかったでしょうから、あるいは結句は「赫赫たる鴻名 四隣に遍からん」と訓んで、「これから我々の力で偉大な名を四隣に鳴り響かせてみせよう」という決意と受け取るべきなのかもしれません。