作者


原文

寶光院小祥奠詞

歌子弄璋脩母儀
阿琴篤二克相隨
慇懃寄語九原路
家政今無異舊時

訓読

宝光院小祥奠詞

歌子 璋を弄して 母儀を脩め
阿琴 篤二 克く相ひ随ふ
慇懃に語を寄す 九原の路
家政 今も旧時に異なる無しと

千代の一周忌にそなえる詩

歌子は男の子を生んで今では母親らしい振る舞いも板についてきた
お琴と篤二はしっかりと仲良くやっている
黄泉の国にいるお前にねんごろに伝えたい
我が家の暮らし向きは今もなにも変わっていないから安心してくれと

寶光院小祥:渋沢の先妻千代(明治15年7月14日没。法名:宝光院貞容妙珠大姉)の一周忌。「寶光院小祥志感」を参照。
奠詞:祭祀の際、霊前に詩をささげる。また、その詩。
歌子:渋沢の長女。明治15(1882)年4月、法学者の穂積陳重(のちに東京大学法学部長、男爵、枢密院議長となる)に嫁ぐ。翌明治16年4月に長男・重遠(のちの東京帝国大学法学部長、最高裁判所判事、東宮大夫兼東宮侍従長、男爵)を生んでいる。
弄璋:男児が生まれること。男児が生まれるとおもちゃとして璋(たま)を与えたことから。女児の場合は瓦(いとまき)を与えたことから「弄瓦」という。
母儀:母親らしい振る舞い。
阿琴:渋沢の次女、琴子。「阿」は親しみをこめて呼ぶときに名前の前につける接頭語で、日本語でいえば「お琴」。この詩の当時、13歳。
篤二:渋沢の長男。この詩の当時、11歳。
克:よく~する。~する能力がある。十分~する。
九原:中国戦国時代に晋国の卿大夫の墓地の名。転じて、墓場、黄泉の国、あの世の意味となった。
家政:家事の切り盛り。一家の暮らし向き。

餘論

明治16(1883)年、渋沢が先妻千代の一周忌に際して霊前にささげた詩です。同時に詠まれた詩が「寶光院小祥志感」です。

「寶光院小祥志感」は、自分の気持ちを述べた詩なので、亡き妻をいたみ嘆く気持ちが前面に出されていますが、今回の詩はあの世にいるお千代にささげる詩であるため、家族の消息を伝えてお千代を安心させるということに力点が置かれています。複数の人名を詩に詠み込むのは難易度が高く、通常なら避けるところですが、この詩に関してはその奇抜な手法が成功していると言えるでしょう。

「志感」と「奠詞」とで詩の方向性をきちんと変えてくるあたり、渋沢の漢詩の実力はなかなかのものだとあらためて感じます。

なお、この詩が詠まれた一周忌の時点で、渋沢はすでに後妻の兼子と再婚しており、厳密に言えば「旧時に異なる」ことがあるわけですが、一周忌を迎える亡妻に向けて詠む詩であえて触れなかったのは、責められることでもないだろうと思います。