松平春嶽の漢詩 同豫州訪容堂僑居(予州と同に容堂の僑居を訪ふ)

作者

原文

同豫州訪容堂僑居

菲才難得濟時方
滿肚憂思故渺茫
一笑逢君共杯杓
他郷今日似家郷

訓読

予州と同(とも)に容堂の僑居を訪(と)ふ

菲才 得難し 済時の方
満肚の憂思 故(ゆえ)に渺茫たり
一笑 君に逢ひて杯杓を共にすれば
他郷も今日 家郷に似たり

伊予の伊達宗城殿と一緒に山内容堂殿の仮住まいを訪れた

才能に劣る私には、この困難な時世を救う方法を見出すことが難しい
胸いっぱいの憂国の思いは、そのために果てしなく広がっていく
だが、そんな思いを笑いとばして、なつかしい君たちと酒席をともにすれば
故郷から遠いこの京も今日だけは故郷のようなものなのだ

豫州:伊予宇和島藩の前藩主伊達宗城。幕末の四賢侯の一人で、四侯会議に参加。「豫州」は伊予の国のこと。任地や所領でもってその人を呼ぶのは和漢共通である。
容堂:土佐藩前藩主山内容堂。幕末の四賢侯の一人で、四侯会議に参加。
僑居:仮住まい。容堂の京都屋敷。
菲才:劣った才能。自身を謙遜していう。
濟時:時世を救う。
滿肚:腹いっぱい、胸いっぱいの
渺茫:広く果てしないさま
杯杓:さかずきと酒を酌むひしゃく。転じて酒盛り。

餘論

慶應3年4月(1867年5月)、薩摩藩の主導により開催された四侯会議出席のため、薩摩の島津久光、福井の松平春嶽、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城が京都に揃います(「聞島津隅州乘火舶赴京師有此作(松平春嶽)」を参照)。この詩は、その際に、春嶽が伊達宗城と連れだって山内容堂を訪ねて作った詩です。懐かしい人と一緒なら他郷も故郷のようなものだ、というはよく理解できます。故郷が故郷であるのは、そこに昔なじみの人たちがいるからであって、そういう人がひとりもいない故郷はもはや故郷とは言い難い土地となります。逆にいえば、懐かしい人と会える場所であれば、そこが故郷のような場所になるでしょう。春嶽にとって、宗城も容堂もそのような存在だったということです。それは、一藩の命運をひとりで担わなければならない立場の孤独を知る者同士にだけ生じた絆だったのかもしれません。