西郷隆盛の漢詩 題楠公圖(楠公の図に題す)

作者

原文

題楠公圖

奇策明籌不可謨
正勤王事是眞儒
懷君一死七生語
抱此忠魂今在無

訓読

楠公の図に題す

奇策 明籌 謨(はか)るべからず
正に王事に勤むるは是れ真儒
懐ふ 君が一死七生の語
此の忠魂を抱くは今 在りや無しや

楠公を描いた図に書きつける

奇抜な策やすぐれたはかりごとは、他の人には立てることのできないものだった
後醍醐天皇の事業のために身を捨てて尽くした楠公こそ、儒学思想の真の実践者なのだ
おもいしたうのは、楠公が死にのぞんで七度生まれ変わってでも敵を滅ぼそうと誓った言葉
これほどの忠義の心を抱くものが、今の世にいるだろうか

楠公:楠木正成(1294~1336)。鎌倉末期から南北朝時代の武将。後醍醐天皇に従って鎌倉幕府打倒に活躍した。足利尊氏が後醍醐天皇から離反した後も、後醍醐天皇を支えて奮闘したが、建武3年(1336年)、湊川の戦いで足利軍に敗れ、弟・正季とともに自害した。江戸時代に水戸学派によって忠臣として評価されるようになり、幕末の尊王思想の高まりとともに、不利をかえりみず命を捨てて後醍醐天皇に尽くした「忠臣の鑑」として神格化が進み、維新の志士たちに大きな影響を与えることとなった。
明籌:すぐれたはかりごと。
:はかる。計画する。
王事:帝王の事業。
眞儒:本物の儒者。ここでは儒学思想の真の実践者ということであろう。
一死七生:楠木正成が湊川で敗れ、弟の正季と刺し違えて自害する際に、七度生まれ変わって敵を滅ぼそう(七生滅敵)と誓ったという話を指す。

餘論

西郷隆盛をはじめとする幕末の志士たちが楠木正成を崇拝したのは、当時の尊王思想の影響に加え、少ない兵で鎌倉幕府の大軍を翻弄した「軍神」としての側面が、彼らのヒロイズムを刺激したからなのでしょう。彼らはひそかに自分自身を楠公になぞらえながら国事に奔走していたに違いありません。この詩の結句も「自分以外に楠公の忠魂を受けつぐ者はいまい」という自負をこめているのだと思います。