陸奥宗光の漢詩 懷母(母を懐ふ)

作者

原文

懷母

不歎人世幾間關
懷母宵宵涙自潸
囘首家山千里外
夢魂髣髴拜慈顔

訓読

母を懐ふ

歎(なげ)かず 人世の幾間関
母を懐へば 宵宵 涙 自(おのずか)ら潸たり
首を回らせば家山は千里の外
夢魂 髣髴として 慈顔を拝す

母をなつかしむ

この世の幾多の困難にも嘆いたりはしないが
母のことを思い出すと毎晩、涙が自然とはらはら流れ落ちる
ふりかえって眺めてみても故郷は千里のかなた
しかし夢の中では本物さながらのやさしい顔に合うことができるのだ

間關:道が険しくて行きなやむさま。転じてたびたび困難にあうこと。
:涙の流れるさま。
回首:ふりかえって見る
家山:故郷
夢魂:夢をみている魂。
髣髴:よく似ているさま。そっくり。
慈顔:慈愛深い顔

餘論

この詩が詠まれたのは明治11年の秋、陸奥が土佐立志社事件(自由民権運動団体の立志社が西南戦争の勃発に乗じて反乱を企てたとされる事件)への関与で有罪となり、獄中にあったときです。下獄以前の陸奥はすぐれた実務能力を買われ、兵庫県知事や神奈川県令、元老院議官などを歴任していただけに、転落の大きさが身にしみたはずです。しかし、起句と承句を見ると、陸奥自身は転落自体より、母に対する申し訳なさに心を苦しめていたようです。それだけに夢の中で会う母親のやさしい顔に救われる思いだったのでしょう。