林羅山の漢詩 久能宮

作者

原文

久能宮

何圖忽輟國中舂
哀慕憑誰寫御容
臣妾叩頭將伏拜
雲車高駕鼎湖龍

訓読

久能宮

何ぞ図らんや 忽ち国中の舂づくを輟(とど)めんとは
哀慕 誰に憑りてか御容を写さん
臣妾 叩頭して将に伏し拝まんとすれば
雲車 高く駕す 鼎湖の龍

久能山東照宮

大御所樣が突然亡くなり国中が哀しみで日々の暮らしを中断してしまうことになろうとは、思いもよらないことであった
哀しみ慕う思いはつのり、せめて絵で御姿に触れたいと思うが、いったい誰に頼んで描いてもらえばよいというのか
われら家臣が頭を地にこすりつけて伏し拝もうとすると
大御所様の魂が雲を車とし、かつて伝説の黄帝を載せた竜をあやつって高々と天へ昇っていくのがみえた

久能宮:現在の久能山東照宮。元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康が亡くなると、遺言により久能山に葬られた。同年12月(1617年1月)には社殿が完成。翌元和3年2月(1617年3月)には朝廷から家康に対し「東照大権現」の神号が贈られ、同年4月(1617年5月)には一周忌にあたって、日光に改葬された。
:やめる。中途でやめる。とどめる。
:臼で穀物をつく。また太陽が沈む。ここでは前者の意で、庶民の労働、生活を象徴する意味で用いているのであろう。
御容:天子(ここでは徳川家康)の容貌の意であろうが、和臭(日本でしか通用しない漢語表現)であろう。本来、「御」を用いるのは天子の持ち物(御衣、御苑、御璽など)であって、天子の身体そのものには用いない。
臣妾:家来とめかけ。貴人に仕えている男女。
叩頭:ぬかずく。頭を地にこすりつけておじぎをすること。
雲車:仙人の乗る雲の車。
:車に牛馬をつけて操る。
鼎湖:河南省霊宝県の南、荊山のふもと。中国古代の伝説上の天子、黄帝がここで銅の鼎(かなえ)を鋳造し、それが出来上がると、龍に乗って天に昇ったとされる。このことから「鼎湖龍去」という成語で天子の崩御を指す。《史記・封禅書》「黃帝采首山銅、鑄鼎於荊山下。鼎既成、有龍垂胡髯下迎黃帝。黃帝上騎、群臣後宮從上者七十餘人、龍乃上去」 杜甫《驪山》「鼎湖龍去遠、銀海雁飛深」

餘論

徳川家康のブレーン林羅山が家康の死を悼んで詠んだ詩です。天子・皇帝に対して用いる言葉・イメージが家康に対して用いられており、まるで家康が天子であるかのように詠まれています。朝廷の持つ権威を警戒していた家康は、天皇と朝廷を政治から徹底的に排除し、幕府の完全なコントロール下に置こうとしました。しかし幕府がいかに朝廷に掣肘を加えようとも、天皇の権威を武家が超越することは不可能です。家康を天子に擬することで、その不可能を詩の中で実現してみせたのが羅山のこの詩なのかもしれません。その意味で、家康の対朝廷政策の最後の仕上げを、詩という形で羅山がやってのけたともいえます。