伊藤博文の漢詩 明治十一年五月甲東翁薨後七日會于友人某家席上偶作(明治十一年五月、甲東翁薨じて後七日、友人某の家に会して席上偶作す)

作者

原文

明治十一年五月甲東翁薨後七日會于友人某家席上偶作

千載眞知何處求
英雄去後氣如秋
連天風雨萬行淚
濺遍蜻蜓六十州

訓読

明治十一年五月、甲東翁薨じて後七日、友人某の家に会して席上偶作す

千載の真知 何れの処にか求めん
英雄 去って後 気は秋の如し
天に連なる風雨 万行の涙
濺ぎ遍(あまね)し 蜻蜓六十州

明治11年5月、大久保利通翁が亡くなってから7日、某友人の家で集まり、席上たまたま詩ができた

大久保公が亡くなった今、永遠の真の知己をどこに求めたらよいのだろう
英雄がこの世を去った後は、夏なのに空気が秋のように冷やかに感じる
天まで続く風雨と幾万すじの涙とが
この日本全国六十余州にあまねく降りそそいでいる。

甲東:大久保利通の号。明治11(1878)年5月14日、東京の紀尾井坂で不平士族ら6名に暗殺された。
千載:千歳に同じ。千年もの長い年月。
眞知:真の知己、本当の友人。
蜻蜓六十州:ひのもと六十余州。日本のこと。日本の別名「あきつしま」を漢語にして、「蜻蜓洲」「蜻蛉洲」「蜻洲」などと表現する。

餘論

維新三傑の最後のひとり、大久保利通が暗殺された後に、伊藤が詠んだ詩です。木戸孝允、西郷隆盛はもはや世になく、板垣退助、後藤象二郎は明治6年の政変で下野し政府を去っており、大久保ひとりが辣腕をふるって日本の近代化を推し進めていた中での、突然の出来事でした。こののち大久保から内務卿を引き継いだ伊藤が第一人者として明治政府の舵取りを担うこととなりますが、日本の近代化はまだ緒についたばかりで、幾多の困難が待ち受けていることは明らかでした。この詩には、単に大久保という偉人を失った悲しみだけでなく、突如として自身が国家の命運を担うこととなった動揺と不安もこめられているのでしょう。