徳川光圀の漢詩 端午

作者

原文

端午

江城重五幾年遭
坐上菖蒲泛濁醪
千古楚風徒競渡
不如端坐讀離騷

訓読

端午

江城の重五 幾年か遭ふ
坐上の菖蒲 濁醪に泛ぶ
千古の楚風 徒(いたづ)らに渡を競ふも
如かず 端坐して離騒を読むに

端午の節句

江戸で五月五日を迎えるのは、これで何年目だろうか
祝いの席で濁り酒に菖蒲を浮かべて飲む
千年の昔からの楚の風習では無駄にボートレースをしているが
きちんとすわって「離騒」を読むほうがよいのだ

端午:五節句のひとつ。五月五日。もともとは午の月である五月の最初の午の日を「端午」として祝っていたものが、「午」は「五」に通じることから五日に固定された。紀元前3世紀、中国の戦国時代、楚の国の王族の屈原は国を憂う政治家・詩人で民衆からも慕われていたが、反対派の讒言によって失脚し、汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。民衆がそれを悲しみ、魚が屈原の遺体を食べないように、川にちまきを投げ込んだことが端午の節句のはじまりとする伝承が知られているが、実際の起源ははっきりしない。
江城:本来の意味としては川のほとりの街、だが、日本の漢詩文ではしばしば江戸のことを指すのに用いる。
重五:五月五日。端午の節句。
坐上:席上。
菖蒲:古くから端午の節句には邪気を払うために菖蒲を門に飾った。現在の日本でも、菖蒲枕、菖蒲湯、菖蒲酒などの形で菖蒲を用いる。
濁醪:濁り酒。
千古:千年の昔。遠い昔。
楚風:楚の国の風習、風俗。
競渡:船で競争する。ボートレース。屈原が入水自殺したことを知った民衆が、彼を救出するために競って船を出したことにちなんで、中国では今も端午の節句にボートレースが行われる。日本でも長崎のペーロンや沖縄のハーリーなどのボートレースが行われている。
端坐:正しくきちんとすわる。
離騒:屈原の詩人としての代表作。楚の国の詩を集めた『楚辞』におさめられている。

餘論

端午の節句を詠んだ水戸黄門様の詩です。「江城の重五 幾年か遭ふ」とあるとおり、水戸徳川家は参勤交代の対象外として江戸への定住が定められていたため、徳川光圀も基本的にはずっと江戸に在住していました。とはいえ、光圀は歴代唯一の水戸生まれの水戸藩主であり、誕生後の5年と隠居後の10年を水戸で過ごしており、水戸への愛着心は歴代藩主の中で最も強かったはずです。だからこそ「江戸での端午の節句は何年目だろうか」という感慨を抱いたのでしょう。江戸にいることを当たり前と感じていれば、このような感慨はそもそも生まれることはありません。