森鷗外の漢詩 無題

作者

原文

無題

飄蕩寄身天地間
風塵百里豈辭艱
掉頭一笑出門去
何日吟鞋踏越山

訓読

無題

飄蕩 身を寄す 天地の間
風塵 百里 豈に艱を辞さんや
頭を掉って一笑し門を出で去る
何れの日か 吟鞋 越山を踏まん

無題

これから私は家を出てさすらい、天と地の間に身を寄せることになる
苦労の多い遥かな旅路となるだろうが、どうして困難を厭うだろうか
見送る家族の心配は首を振って一笑に付し、元気に門を出ていく
いつの日か、詩を作りながら越後の山々を踏み越えていこう

飄蕩:さすらう、流浪する。
風塵:風に吹きおこる塵。転じて俗世の塵、世の乱れ、旅の苦労などを指す。ここでは旅の苦労。
掉頭:頭を振る。否定する動作。杜甫《送孔巣父謝病帰遊江東兼呈李白》「巢父掉頭不肯住,東將入海隨煙霧」
吟鞋:詩人のわらじ。吟行で履いているわらじ。
越山:越後(新潟)の山。

餘論

明治15(1882)年2月13日から3月29日まで、20歳の鷗外は徴兵副医官として徴兵検査に立ち会うための長期出張に出て、北関東と信越をめぐりますが、その出発に際して詠んだ詩です。たかが1ヶ月半の出張で、「飄蕩 身を寄す 天地の間」とは大げさに思うかもしれませんが、当時の旅は今よりずっと大変でしたし、現代のように旅先でも家とほぼ同じ生活を維持できる環境でもなかったので、1ヶ月半の旅というのはそれなりの覚悟が要ったはずで、あながち誇張とばかりも言えません。

待ち構える旅の困難にもひるまず、前向きさを失うことなく、見送る家族の心配を払拭すべく笑って出発する。若き職業人としても、息子としても、非の打ちどころのない内容です。鷗外の完璧さは単なる詩の中のポーズではなく、現実の仕事でも家庭でも生涯を通じて自身の役割をほぼ完璧にこなし続けました。われわれ凡人が到底及ぶところではありませんし、真似もできないでしょう(少なくとも私には真似する意志も能力もありません)。しかし、この春、新たな環境に踏み出す人は、せめてこの前向きなポーズくらいは真似してもいいかもしれません。