高杉晋作の漢詩 二月朔旦遊墨陀觀櫻花(二月朔旦、墨陀に遊び桜花を観る)

作者

原文

二月朔旦遊墨陀觀櫻花

武城爲客又逢春
墨水櫻花依舊新
昨日悲歌慷慨士
今朝詩酒愛花人

訓読

二月朔旦、墨陀に遊び桜花を観る

武城に客と為って又た春に逢ふ
墨水の桜花 旧に依って新たなり
昨日 悲歌 慷慨の士は
今朝 詩酒 花を愛する人

二月一日の朝、隅田川に遊んで桜の花を見る

故郷を離れての江戸暮らしの中、ふたたび春を迎えた
隅田川の桜の花は以前と同じように新鮮な色で咲いている
昨日、悲しんで歌い、世の中をいきどおって嘆いていた男が
今朝は酒を飲んで詩を詠み、花を愛でる風流な人になっている

:ついたち。陰暦の月の第一日。
:朝。
墨陀:「隅田」の書き換え。
武城:武藏の国の中心都市、つまり江戸。
:本来帰るべき場所とは違う場所にいる人のこと。旅人のほか、仕事や学問のため故郷を離れている人など。
墨水:隅田川。
依舊:もとのまま。昔のまま。
悲歌慷慨:悲しんで歌い、世をいきどおり嘆く。「慷慨」は「忼慨」に同じ。《史記・項羽本紀》「項王乃悲歌慷慨」

餘論

文久3年2月1日(1863年3月19日)の作。転結の2句は晋作自身のことを指しています。前年の12月には久坂玄瑞らと、品川御殿山で英国公使館焼き討ち事件(厳密には英国公使館建設現場放火事件)を起こしており、まさに「悲歌慷慨士」だったわけですが、この日はそんなことは忘れたかのように酒を飲んで花見を楽しんでいる、と自嘲気味に自らを描いています。しかし、この二面性こそが高杉晋作の真骨頂であり魅力でもあります。おそらく「花を愛する人」の「花」には、おしろいと紅をつけ甘い声でささやく花も含まれているのでしょう。