陸奥宗光の漢詩 春愁

作者

原文

春愁

幽人無物遣閑愁
春色傷情卻似秋
鳥且驚心花濺淚
半簾暮雨讀離憂

訓読

春愁

幽人 物の閑愁を遣る無く
春色 情を傷ましむること却って秋に似る
鳥すら且つ心を驚かし花にも涙を濺ぎ
半簾の暮雨 離憂を読む

春の愁い

世の中から遠く離れて獄中にある私には、そぞろに湧き上がる愁いを晴らすすべとてなく
春の景色が気持ちを落ち込ませるところは、かえって秋に似ている
杜甫の詩ではないが、鳥の声にさえ心を動かされ、花を見ても涙が流れるばかり
半ば巻き上げた簾に降りそそぐ夕暮れの雨を眺めつつ、屈原の「離騒」を読むのだ

幽人:通常、俗世を避けて暮らす隠者の意だが、ここでは、世の中から離れて獄中にある陸奥自身を指している
:うさなどを晴らす。
閑愁:そぞろに湧き上がる愁い。
傷情:気持ちを落ち込ませる、心を悲しくさせる
鳥且驚心花濺淚:杜甫《春望》の「感時花濺淚 恨別鳥驚心」を踏まえたもの
離憂:別れの悲しみ、つらさ。あるいは《史記・屈原賈生列傳》に「離騒者、猶離憂也(離騒というのは、離憂と同じ意味である)」とあることを踏まえると、ここでは屈原の詩「離騒」を意味しているのかもしれない。そのほうが「讀離憂」の意味はとりやすい。屈原は中国の戦国時代、紀元前3世紀の楚の国の王族・政治家で、憂国の志篤かったが、反対派の讒言により失脚し、汨羅江(べきらこう)に身を投げた。

餘論

土佐立志社事件への関与で禁錮5年の刑に処せられて獄中にあった陸奥が明治12年(1879年)の春に詠んだ詩です。「春愁」というと、春の盛りのなんとなく沈んだ気持ちのことで、衣食足りて余裕のある人が感じるものという気がするので、獄中の陸奥には似合わないようにも思いますが、このとき陸奥は伊藤博文の手配りで当時もっとも設備の整っていた宮城監獄に収監されていたので比較的恵まれた環境にいました。懲役刑でなく禁錮刑ということもあり、時間も十分にあったでしょうから、なにかと思いをめぐらして愁いに沈むことも多かったと思われます。まして、国に尽くす意志も能力もあるのに無為に時間を過ごすしかないとなればなおさらでしょう。