作者

原文

十三日與伊藤俊輔觀上野櫻花

櫻花如雪滿千林
不忍池頭春已深
憶昔昌平遊学日
破衣亂髪醉狂吟

訓読

十三日、伊藤俊輔と上野の桜花を観る

桜花 雪の如く千林に満つ
不忍池の頭(ほとり) 春 已に深し
憶ふ昔 昌平 遊学の日
破衣 乱髪 酔狂して吟ずるを

二月十三日、伊藤博文と上野の桜を見る

桜の花がまるで雪のようにたくさんの木々の枝に満ち
不忍池のほとりはすでに春たけなわだ
思い出すのは、昔、昌平坂学問所で学ぶために江戸に来ていた頃
服はボロボロ、髪はボサボサでいつも酔っぱらってふざけて詩を吟じてばかりいたことだ

十三日:文久3年2月13日(1863年3月31日)
伊藤俊輔:伊藤博文のこと。俊輔は通称。
不忍池:現在、東京の上野恩賜公園内に位置する池。もともとは東京湾の入江だったところが、海岸線の後退によって取り残されて池になったと考えられている。江戸時代には、風流な地として多くの文人に愛された。
:ほとり。あたり。
昌平:昌平坂学問所。 昌平黌ともいう。徳川家康のブレーンとして活躍した儒学者林羅山が開いた私塾を起源とするが、1790年代頃、林家から切り離されて幕府直轄の教育機関となり、以後は広く全国の藩士や郷士、浪人が学ぶことができるようになった。高杉は安政5年8月(1858年9月)から江戸に遊学、同年11月(同年12月)、昌平坂学問所に入学し、翌安政6年10月(1859年11月)に藩からの帰国命令を受けるまで江戸で学んでいた。
醉狂:酔っぱらってふざける。酔っぱらって気が変になる。

餘論

伊藤博文と不忍池に花見に行ったことを詠んだ高杉晋作の詩です。維新の英雄と後の初代内閣総理大臣、今から考えればすごいツーショットですが、このとき二人に注目する花見客などいなかったでしょう。

弟分の伊藤に向かって「昔、江戸に来たときは遊びまわったもんだよ」と語る高杉はどこか自慢げに見えます。昔といってもたかが4年ほど前のことなのですが、若者にとっては4年も経てば昔です。後輩に向かって「俺も昔は・・・」と高校時代の「武勇伝」を語る大学生のようなものでしょうか。ただし、高杉が江戸遊学時代に遊びまわっていたのは事実らしいので、この詩の結句は話を盛っているわけではなさそうです。