松平春嶽の漢詩(6) 二十七日書感(二十七日 感を書す)
作者
原文
二十七日書感
(自注:是日葬天皇于泉涌寺山陵)
翠華此日向邱山
臣庶誰無涕淚潸
唯我悲哀比人重
曾朝魏闕拜龍顔
訓読
二十七日 感を書す
(自注:是の日、天皇を泉涌寺山陵に葬る)
翠華 此の日 邱山に向かふ
臣庶 誰か涕涙の潸たること無からん
唯だ我のみ悲哀 人に比べて重し
曽て魏闕に朝して龍顔を拝す
訳
正月二十七日、感慨を記す
(自注:この日、先帝を泉涌寺の山陵に葬る)
天子の御旗は今日、御陵となる山へと向かう
われら臣民のうちで涙を流さないものが誰かいるだろうか、いるわけもない
しかし、私だけはほかの人たちとくらべて悲しみがひときわ重いのだ
かつて宮中に参内して、直接、帝のご尊顔を拝し奉ったのだから。
注
二十七日:慶應3年正月27日(1867年3月3日)
天皇:慶應2年12月25日(1867年1月30日)に崩御した孝明天皇。
泉涌寺:京都市東山区にある寺院。皇室との関わりが深く、後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇の陵墓がある。
翠華:かわせみの羽でかざった天子の旗。
邱山:「邱」は丘に同じ。丘と山。ここでは丘墓のこと。
臣庶:もろもろの臣下、人民。
潸:涙がはらはらと流れるさま。
朝:朝廷に出仕する。宮中に参内して天子にお目にかかる。
魏闕:高く大きな門。宮城の正門の両側に設けた高台の所に設けた門。転じて宮城、朝廷を指す。
龍顔:天子の顔。
餘論
150年前、孝明天皇の葬儀に際して詠まれた詩です。尊王思想が日本中を席巻した時期に在位した帝だけに、「臣庶 誰か涕涙の潸たること無からん」というのも誇張ではなかったでしょう。そんな時代背景のなかで朝幕双方の政局に深くかかわってきた春嶽にとって帝は大きな後ろ盾でした。「自分は他の人とは違い、拝謁の栄誉を賜っただけに、悲しみもまた特別なのだ」という表現は、「他の人」からすると自慢とも取られかねないものですが、本人としては偽らざる感慨だったのでしょう。
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