林羅山の漢詩 柳塘春風(柳塘の春風)

作者

原文

柳塘春風

柳塘美景日輝遲
帶得和風翠欲埀
莫許春遊叨攀折
枝枝一任面前吹

訓読

柳塘の春風

柳塘の美景 日輝 遅し
和風を帯び得て 翠 垂れんと欲す
許す莫かれ 春遊 叨(みだ)りに攀折するを
枝枝 一任す 面前に吹くに

柳の生えている堤の春風

柳の立ち並ぶ堤の美しい景色に春の日は長く
のどかな風に吹かれながら柳の青い枝が地面まで垂れ下がろうとしている
春の野遊びに出て、みだりに柳の枝を手折るのを許してはいけない
枝枝が好きなだけ風に吹かれて顔の前でゆらめくのに任せればよいのだ

柳塘:柳の生えている堤
日輝遲:太陽が進むのが遅い。日が長い。
和風:のどかな風
:緑色の柳の枝
攀折:枝などを引きよせて折る。

餘論

徳川家康のブレーンの一人として活躍し、江戸幕府草創期の制度設計に大きな役割を果たした林羅山の詩です。
転句と結句の内容ですが、あるいは中唐の楊巨源の《折楊柳》を踏まえているのかもしれません。
楊巨源 《折楊柳》 
水邊楊柳麴塵糸
立馬煩君折一枝
惟有春風最相惜
殷勤更向手中吹 
水辺の楊柳 麴塵の糸
馬を立て 君を煩はして 一枝を折る
惟だ春風の最も相ひ惜しむ有りて
殷勤に更に手中に向かひて吹く
古来、中国では、旅立つ人を送る際に柳の一枝を折って手渡し、旅の無事を祈る風習がありました。楊巨源のこの詩は、旅人が受け取った柳の枝に対して春風が別れを惜しみ、旅人の手の中の柳の枝に向かっていつまでも吹き続ける、とうたっています。この詩を踏まえて羅山の詩を解釈すれば、「必要もないのにみだりに柳の枝を折って春風と別れさせるようなことはしてはいけない、好きなだけ柳の枝が春風に吹かれるのに任せてやろうではないか」という意味になるのではないかと思います。