森鷗外の漢詩(1) 無題
作者
原文
無題
何須相見淚成行
不問人間參與商
林叟有言君記否
品川水接大西洋
訓読
無題
何ぞ須(もち)ひんや 相ひ見て淚 行を成すを
問はず 人間の參と商とを
林叟に言有り 君 記するや否(いな)や
品川の水は接す 大西洋 と
訳
無題
お互いに顔を合わせて涙を流す必要がどうしてあるだろう
この世の東と西に遠く離れ離れになっても大したことではない
林子平にこんな言葉がある、君は記憶しているだろうか
品川の水ははるか大西洋までつながっているのだ、と
注
淚成行:涙がこぼれ落ちて筋をなす。涙を流す。
人間:人の世。この世。「にんげん(human being)」の意味はない。
參・商:ともに星座の名。參は西方の星で、商は東方の星。二つの星が同時に天に現れることはないことから、遠く離れ離れになって会えないことのたとえとして用いる。
林叟:林子平(1738~1793)のこと。叟はおきな、年寄り、長老。年長者を呼ぶ尊称。林子平は「寛政の三奇人」の一人に数えられる海防論者で、『三国通覧図説』『海国兵談』などを著してロシアの脅威を説き、海防の必要性を主張した。
品川水接大西洋:林子平が『海国兵談』の中で「およそ日本橋よりして欧羅巴(ヨーロッパ)に至る、その間一水路のみ」と述べているのを言い換えたもの。品川は日本橋を起点とする東海道の第一宿であり、江戸(東京)の出入り口として機能した宿場町。
餘論
春は別れの季節、ということで、別れを詠んだ漢詩を紹介します。しかも半端な別れではありません。鷗外がこの詩を詠んだのは、明治17(1884)年の8月24日、ドイツ留学のため横浜港から出航した時です。当時、ヨーロッパまでは船で1ヶ月あまりもかかり、現在のように簡単に一時帰国というわけにもいきません。文字通り東と西に遠く離れ離れです。鷗外が留学を終えて再び日本の土を踏むのは約4年後の明治21(1888)年9月でした。そんな大変な別れを前にしても、この詩は前向きです。「東と西に別れても世界は海でひとつにつながっているのだから大したことはない」というわけです。
現在はメールででもSNSででも瞬時に連絡が取れる時代ですから、なおさら「大したことはない」でしょう。この春、別れを迎える人たちにこの詩をおくりたいと思います。
現在はメールででもSNSででも瞬時に連絡が取れる時代ですから、なおさら「大したことはない」でしょう。この春、別れを迎える人たちにこの詩をおくりたいと思います。
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