木戸孝允の漢詩 次亡友山内君木賀偶成韻(亡友山内君の木賀偶成の韻に次す)

作者

原文

次亡友山内君木賀偶成韻

東海先生安在哉
雲烟鎖跡不歸來
樓前風景依然好
獨倚欄干懶擧盃

訓読

亡友山内君の木賀偶成の韻に次す

東海先生 安(いず)くに在りや
雲烟 跡を鎖(とざ)して帰り来たらず
楼前の風景は依然として好きも
独り欄干に倚りて盃を挙ぐるに懶(ものう)し

亡き友、山内容堂公の詩「木賀偶成」に次韻する

東海先生(容堂公)はいまどこにおられるのだろうか
雲や靄が先生の足跡をおおいかくしてしまい、先生はもう帰って来られない
酒楼の前の風景は昔と同じく素晴らしいが
ひとりで欄干によりかかってみても、先生亡き今となっては、盃を挙げて酒を飲むのも面倒で楽しめない

:他の人の詩の韻と同じ韻字を使って詩を作ること。この詩は山内容堂の「木賀偶成」の韻字「哉」「來」「盃」を使って作られている。木賀については容堂の詩を参照。
山内君:土佐藩第15代藩主山内容堂。
東海先生:容堂のこと
:場所を問う疑問詞。どこに。
雲烟:雲ともや。
:とざす。おおいかくして見えなくする。
:ものうい。だるい。面倒くさい。

餘論

木戸が、かつて容堂が遊び詩を残した木賀を訪れた際に、亡き容堂公をしのんで作った詩です。維新後、政府の実力者たちとほとんど交流しなかった容堂ですが、唯一の例外が木戸孝允でした。ふたりはしばしば酒席をともにして、様々なことを語り合ったそうです。おそらく主義主張云々以前にウマがあったのでしょう。この詩は決して社交辞令ではなく、真情を吐露したものと思います。