伊達政宗の漢詩 春雪

作者

原文

春雪

餘寒無去發花遲
春雪夜來欲積時
信手猶斟三盞酒
醉中獨樂有誰知

訓読

春雪

余寒 去ること無く 花発くこと遅し
春雪 夜来 積もらんと欲する時
手に信(まか)せて猶ほ斟(く)む 三盞の酒
酔中の独楽 誰有りてか知らん

春の雪

春というのに余寒が去らず、梅の開花も遅い
夜になって、ちょうど春の雪が積もろうとしているところだ
我が手にまかせて気の向くままに何杯も酒を酌む
この酔いのうちの独りだけの楽しみがわかるものが私以外に誰かいるだろうか

:ここでは梅の花
夜來:夜になる。
信手:手にまかせる。気の向くままに。
三盞:「盞」は小さいさかずき。「三杯」に同じ。具体的に「3杯」というわけではなく、「何杯も」という意味。
獨樂:独りだけの楽しみ。司馬光《獨樂園記》「不知天壌之間、復有何樂、可以代此也、因合而命之曰独樂」

餘論

390年前、寛永4年正月17日(1627年3月4日)に詠まれた詩です。更けていく夜に降り積もる春の雪を眺めながら、手酌でひとり酒を楽しむ風流な独眼竜の姿が目に浮かびます。政宗はこの詩を江戸の柳生宗矩のもとへ送り、宗矩はさらに林羅山らに詩を示して、ともにこの詩に次韻する詩を詠んでいます。林羅山は次韻の詩の題詞で「雪は五穀の精であり豊年には必ず積雪がある。公は独楽といっているが、実は豊年の予兆である積雪を民とともに喜ぶことに真意があるのだ」と述べています。新田開発に力を入れ、仙台藩を国内屈指の穀倉地帯に発展させた政宗ですから、単なる美しい景色としてだけでなく、豊年をもたらす瑞祥として春の雪を喜ぶ気持ちは当然こめられていたでしょう。