山内容堂の漢詩 木賀偶成

作者

原文

木賀偶成

溪邊巨石勢壮哉
幾個同儕相喚來
自笑閑人卻多事
煎茶石上又呼盃

訓読

木賀偶成

渓辺の巨石 勢ひ壮なるかな
幾個の同儕 相ひ喚び来たる
自ら笑ふ 閑人 却って事多きを
茶を煎る石上 又た盃を呼ぶ

木賀でたまたま出来た詩

谷川のほとりの巨大な石の様子はなんと壮大なことか
幾人かの仲間とお互いに声をかけて呼び合いながらやって来た
自分でもおかしいのは、隠退した暇人には逆に用事が多いということ
今もこうして石に腰かけてお茶をわかすのを待っている間に、酒を頼むというせわしなさだ

木賀:箱根にある温泉街。江戸時代以来、箱根七湯のひとつに数えられる。
:様子、ありさま
同儕:同じ仲間。同輩。
:声をかけて呼び寄せる。
:さかずき。盃(杯)は酒を飲むための容器であり、茶を飲むための容器は「椀」である。したがって、ここで「呼盃」というのはお酒を頼んだのであって、お茶を飲むための容器を頼んだわけではない

餘論

容堂公らしい洒脱な詩です。土佐藩は討幕維新を主導した薩長土肥の一角であり、容堂も維新後一時期、内国事務総裁などに就任しましたが、まもなく公職を退いて隠居生活に入り、酒と女と詩にふける自由気ままな(そして非常に贅沢な)暮らしを楽しみました。この詩もそんな時期、箱根の木賀へ温泉旅行へ遊びに行った際の作です。「閑人卻多事」というのは逆説的ですが、なんとなく納得できる表現であり、うらやましい境遇です。

「煎茶石上又呼盃」というのは単なるレトリックではなく、事実でしょう。日本の運命を決めた慶應3年12月9日(1898年1月3日)の小御所会議ですら泥酔状態で参加した「鯨海酔侯」ですから、酒なしで何かを待つということはできなかっただろうと思います。

なお、容堂の没後、木戸孝允が木賀を訪れて容堂をしのび、この詩に次韻した詩「次亡友山内君木賀偶成韻」を詠んでいます。