夏目漱石の漢詩 題墨竹(墨竹に題す)

作者

原文

題墨竹

二十年來愛碧林
山人須解友虛心
長毫漬墨時如雨
欲寫鏗鏘戛玉音

訓読

墨竹に題す

二十年来 碧林を愛す
山人 須(すべか)らく解(よ)く虚心を友とすべし
長毫 墨に漬(ひた)して時に雨の如く
写さんと欲す 鏗鏘 戛玉の音

墨で描いた竹の画に書きつける

この二十年来、私は青々と茂る竹林を愛してきた
山中に住まう隠者であろうとするなら、中が空っぽで心にわだかまりのない竹を友にすることができなければならない
だから私は、穂先の長い筆にたっぷり墨をつけて、いまこの時まさに、まるで雨が降り注ぐかのうように
竹の幹が触れ合って起こる、玉が触れ合うかのような響きをも、画の中に描きたいと思うのだ

墨竹:墨絵の竹。
碧林:青々としげる林。唐太宗《首春》「碧林舊竹靑 綠沼新苔翠」
山人:山の中に住む隠者。
:かならず~すべきである、~しなければならない
:~することができる。「能」と同じだが、「能」は平声、「解」は仄声なので平仄の都合で使い分ける。
:ここでは「友にする」という動詞。
虛心:わだかまりのない澄んだ心。ここでは、竹の芯が空っぽであることもかけている
長毫:穂の長い筆。「毫」は筆の穂。
:その時、折りしも。
鏗鏘:金属や玉の触れあう硬質な音の形容。
戛玉:触れ合う玉。

餘論

実際にこの詩が書きつけられた竹の画が2種知られており、いずれも詩画ともに漱石の筆によるものとされます。大正2~3年(1913~14年)の作と言われており、大正2年1月にはノイローゼが悪化、3月には胃潰瘍が再発して5月まで自宅で療養、翌大正3年4~8月、朝日新聞に「こゝろ」を連載、という時期にあたります。古来、竹は高潔さの象徴とされ、蘭・菊・梅とともに「四君子」と称されてきましたし、「竹林の七賢」に代表されるように、俗世のしがらみを逃れようとする隠者たちに愛されてきました。繰り返す病に体をむしばまれながら、人間のエゴイズムと倫理観の葛藤を掘り下げる小説を作り上げていく時期だけに、せめて詩画に竹をえがくことで精神のバランスを保っていたのかもしれません。